INTERVIEW

【Vol.2】高校生でJリーグデビューしてから22年。一柳夢吾さんが歩んできた、プロサッカー選手としての、特異な道。

PROFILE
一柳夢吾|AC台北 YUGO_ICHIYANAGI
一柳 夢吾(いちやなぎ ゆうご) 1985年4月2日東京都西東京市出身。ポジションはディフェンダー。 東京ヴェルディ1969のアカデミー出身。ユースからトップチームに昇格後、2005年にはサガン鳥栖、2008年にはベガルタ仙台への期限付き移籍。世代別の日本代表も経験。ファジアーノ岡山、松本山雅FCでもプレー。 2013年限りでFC琉球を退団した後はタイでプレーしていたが、2016年よりザスパクサツ群馬に完全移籍により加入し、3年ぶりに国内でプレー。 2019年より舞台を台湾に移し、活躍。現在はAC台北でキャプテンを務めている。

PROFILE
一柳夢吾|AC台北 YUGO_ICHIYANAGI
一柳 夢吾(いちやなぎ ゆうご) 1985年4月2日東京都西東京市出身。ポジションはディフェンダー。 東京ヴェルディ1969のアカデミー出身。ユースからトップチームに昇格後、2005年にはサガン鳥栖、2008年にはベガルタ仙台への期限付き移籍。世代別の日本代表も経験。ファジアーノ岡山、松本山雅FCでもプレー。 2013年限りでFC琉球を退団した後はタイでプレーしていたが、2016年よりザスパクサツ群馬に完全移籍により加入し、3年ぶりに国内でプレー。 2019年より舞台を台湾に移し、活躍。現在はAC台北でキャプテンを務めている。
第二話では、一柳選手がタイへ移籍して以降の話をしてくれた。
日本では起こり得ないようなことを数多く経験し、そしてそれを経て、サッカー選手としてどう生きてきたのか。
ぜひ引き続きお楽しみを!
※第一話はこちら
佐藤豪
契約前提でタイに向かったのに話がなくなって、そこから半年後に決まったのが、バンコクから500キロぐらい離れたジャングルみたいなところって、、、やばいですねその展開。苦笑
一柳さん
いや、本当にやばかったよ。スコータイって言ってさ、世界遺産の街なんだけど。街自体はすごい綺麗で、いいところなんだけど、何にもなくて。
一柳さん
住むところも、そのチームのオーナーが持っている農場の中の体育館みたいなところに強制で住まないといけなくて、周りは牛とか野生の亀が歩いているところだったよ。笑
佐藤豪
えー。
一柳さん
で、原付だけ渡されて、街まで30分ぐらいかけていく、みたいな感じで。
今でも覚えてるけど、最初そのチームに入って住んだその農場で、若い選手が鶏を捕まえてきて、バーって捌いて焼き鳥にして食べてたよ。
鈴木崇文
えー。
一柳さん
日本じゃない体験だったから驚いたよね。
佐藤豪
それは驚きますね。笑
そのスコータイのチーム探し自体どうやってやったんですか?
一柳さん
チーム探しは、当時タイにいたサッカー関係者の人とか、いろんな人に紹介してもらって。
佐藤豪
条件とかどうだったんですか?
一柳さん
条件はね、最終的には最初に聞いてた条件の半分ぐらいだったよ。
佐藤豪
えー。
一柳さん
そうそう。全く思い通りにいかなくて辞めることも全然考えたし。
自分のキャリアの中でのターニングポイントの一つだね。
佐藤豪
なるほど。。
一柳さん
ただ、こういう状況に放り込まれて、今まで自分がやってきたことを一旦忘れてもう一回どこまでできるかやってみようと思ったんだよね。
だから、その環境に何の文句も言わずに、いきなりジャングルに放り込まれても、「もうやるしかねえな」って感じだった。
佐藤豪
環境自体は、住まいの話は出ましたけど、練習環境とか試合するスタジアムとかその辺はどうだったんですか?
一柳さん
本当に田舎だから、そこに娯楽がない分、サッカーがすごい人気だったんだよね。スタジアムも新しくて、毎試合5,000人、6,000人入ってて、屋台や出店もあってお祭りみたいだった。
佐藤豪
ええー。すごい。
一柳さん
だいたいいつもそれぐらい入ってて。面白かったよ。
佐藤豪
練習環境も割としっかりしてたんですか?
一柳さん
練習はそのスタジアムで練習してたけど、後は周りジャングルだから何もない 笑
もちろんクラブハウスもトレーナーもいないから、自分でタイマッサージ屋に行ってたなー笑
佐藤豪
ああ、なるほど。
一柳さん
これまで自分がどれだけいい環境でサッカーがやれていた事にも気づけたし、自分が腹を決めて環境に適応していくと不便なことも笑えるようになっていくのが面白くなっていった感じで。
佐藤豪
そこでしっかり適応できたのがすごいですよね!

一柳さん
最初は全然言葉も喋れないから、ローカルの選手もそうだし、外国人選手ともコミュニケーションが取れなかったけど、少しずつ勉強して、それが面白くて。振り返ったらいい経験だったなって思うよ。
佐藤豪
なんか冒険家っぽいですね。イチさんの話を聞いてると。
一柳さん
そうかもしれないね。本当に、それこそ夜中に野犬に追われたりもしたし。
佐藤豪
めちゃめちゃ怖いじゃないですか。狂犬病とかそれこそ。
一柳さん
そうそう。本当に怖かった。
ある夜に、試合が終わってアフリカ人のチームメイトが「飲みに行こうぜ」って誘ってくれて、街に飲みに行ったんだけど、夜中になって帰ろうとしたら、その選手がいなくなってて。

佐藤豪
誘ったのに。笑
一柳さん
田舎だからタクシーとかもないんだよ。バイクタクシーみたいなものがあって、それを見つけて「ここまで行ってくれ」って言って乗ったんだけど。
途中で「これ以上いけないから降りろ」って言われて、真っ暗な道に降ろされて。
佐藤豪
それはマズいですね!
一柳さん
もう周りは田舎道で真っ暗だから、歩くしかないと思って歩いてたら、周りから犬の鳴き声が聞こえてきて、「やばい」と思って後ろを振り返ったら、20匹ぐらいの野犬が俺を追いかけてきてたんだよ。
佐藤豪
本当にやばいやつですね。
一柳さん
でも前に進むしかないから歩いてたら、その野犬たちがどんどん近づいてきてさ、本当に怖かった。
佐藤豪
怖すぎる・・最終的にどうなったんですか?
一柳さん
その時、いつも昼ご飯を食べていた屋台のおじちゃんが外で飲んでて、俺が野犬に追われてるのを見て「おい、こっち来い!」って助けてくれて、そのおじちゃんが家まで送ってくれて助かったんだけどね。
佐藤豪
その人がいなかったら本当にやばかったですね。
一柳さん
本当にやばかったよね。(笑)
そのタイミングで、日の出が見え始めて「綺麗だな」と思ったのは覚えてるなあ。
佐藤豪
すごい話ですね。
鈴木崇文
本当に壮絶な経験ですね。
一柳さん
で、最初一緒にいたアフリカ人のチームメイトは適当に先に帰ってたみたい。
佐藤豪
それもすごいですね。笑
一柳さん
そのアフリカ人の選手とは、一ヶ月ぐらいルームシェアしてたんだけど、夜とか爆音で音楽をかけるんだよね。
佐藤豪
あー、全然気にしないんですね。
一柳さん
そう、向こうでは全然気にしない。日本だと、「もう寝る時間だな」とか気を使うじゃない?
佐藤豪
使いますね、めちゃくちゃ。
一柳さん
でも向こうでは「俺が聞きたいから音楽をかける」って感じだから。こっちが「うるさいから音楽消してくれ」って言わないと、全然消してくれないんだよね。
佐藤豪
なるほど、言わなきゃ伝わらないんですね。
一柳さん
そう、こっちから言えば「あ、そうか」って普通に消してくれるんだけど、最初は本当に文化の違いを感じたよ。
佐藤豪
そういうところが、やっぱり違うんですね。
一柳さん
日本みたいに相手が何を考えてるかとか気を使わない。自分がやりたいことをやって、もし嫌なら言う、っていう感じ。
佐藤豪
面白いですね。
一柳さん
本当に面白かった。
佐藤豪
すごい経験だな。。。サッカー選手で海外に行って、野犬に追われるなんて、なかなかないですよね。(笑)
一柳さん
そうだね。(笑)
佐藤豪
その後、タイ国内のチームに移籍したんですか?
一柳さん
そう、その後スコータイの近くのチームに移籍して。そこでまた、一年契約だったんだけど半年で切られて、日本に戻ってきたんだよ。

佐藤豪
なるほど。それで、その後は国内でプレーをするっていう流れですね?
一柳さん
そう、これからどうするか一度日本に戻って考えようと思った。
佐藤豪
タイでの移籍手続きとかは全部自分でやったんですか?
一柳さん
そうだね、基本的には自分でやってたかな。ただ、知り合いに頼んだり、いろんな人に助けてもらいながらね。
前のチームがリリースレターとか書類の提出をしてくれなくて、J2リーグ開幕戦の前日にようやく揃って出場できたの覚えてる笑
佐藤豪
その時にも代理人とかはつけなかったんですか?
一柳さん
代理人はつけなかった。たまに向こうで「代理人がいるよ」とか「俺が代理人するよ」って言われたりするけど、結局マージンを取られるだけで、その後も専属の代理人にするつもりはなかったし。
佐藤豪
なるほど。そういう交渉とかも、やっぱり自分でやるといろいろ大変だったんですね。
一柳さん
そうだね、日本では経験できないようなことがたくさん起きたけど、そういう経験を通して、自分自身タフになれたし、何をやりたいのかを考えるきっかけにもなったかなと。
今振り返ると、あの時の苦労があってこそ今があるんだなって思うしね。
佐藤豪
大変なことがあったからこそ、今があるんですね。
一柳さん
そうそう。
佐藤豪
それで日本に戻ってきてから、どういう流れでザスパ草津に入ったんですか?話が最初に戻るようで申し訳ないんですが。
一柳さん
タイで半年で契約を切られて、次にどうしようか悩んでたんだけど、正直もうJリーグに戻るのは厳しいかなって思ってたんだよね。年齢も30歳を超えていたし。
佐藤豪
そうだったんですね。
一柳さん
でも、知り合いがたまたまザスパのコーチと繋がっていて、練習参加させてもらえることになって、練習参加してみて、最終的には契約してもらったっていう流れ。契約できた時はどん底だったここ2、3年のことを思い出して震えるほど嬉しかったね。

佐藤豪
すごいですね、そこからザスパに三シーズンいたんですね。
一柳さん
三シーズンプレーできたことも喜びだけど、本当に日本は整ってて素晴らしいなと思ったよね。ちゃんとお金も払ってくれるし(笑)
でも一番感じたのは自分が若い時と比べてプレーする重みや責任は間違いなく深まってたと思う。
佐藤豪
やっぱり、そこまでの一連の経験含め、得たものは大きかったですか?
一柳さん
うん、間違いなく大きかったね。やっぱり最後まで諦めずにやり続けることの大切さを実感したよ。どんなに厳しい環境でも,
努力を続ければ道が開けるのを身をもって感じた。
佐藤豪
なるほど、それは今の若い選手たちにも伝えたいメッセージですね。
台湾への移籍とキャリアについて
佐藤豪
そこから今度は台湾ですよね?
一柳さん
そう、そこから台湾に。
佐藤豪:
台湾に行くきっかけっていうか、それも知り合いの繋がりからですか?
一柳さん
そのザスパの契約が終わって、また海外行きたいなと思って探してたんだよね。最初は特に国にこだわってなかった。それで自分でタイ行ったりいろいろ探ってたけど、なかなか決まらなくて。
佐藤豪
そうだったんですね。
一柳さん
それで、たまたま台湾のチームから話をもらってね。正直、台湾でサッカーってイメージがあんまりなかったんだけど、自分自身行ったことがなかったし、面白そうだなと思って台湾に行ったって感じで。
佐藤豪
それも代理人じゃなく、そういう人の紹介で来るんですか?
一柳さん
そう。それも、代理人をつけていなかったから、友達の選手だったり元選手だったりとか、そういうつながりでいろいろ紹介してもらってね。「チーム探してる」って話を振ってもらって。
佐藤豪
台湾も、タイの時のように、現地に行って練習参加して決まっていったんですか??
一柳さん
いや、そのチームからは「来てください」って感じだったから、すぐにサインして。
佐藤豪
なるほど。正式なオファーをチームから先にもらったんですね。
一柳さん
そう。台湾はサッカーはまだ発展してない部分が多いけど凄く住みやすくてやりがいを感じてる。
ただ、たまに自分のキャリアを振り返ると、全然思い描いていたものとは違ったなと。
佐藤豪
あー、それでいうと、その部分聞きたくて。Jリーグデビューした時って、僕も知ってるぐらい全国に届いてて、メディアでも注目されてましたよね。多方面で注目されて。
一柳さん
今振り返るとね、やっぱり17歳でトップチームに上がったんだけど、その時は人間的に全然成熟していない段階でその世界に入ったんだよね。
佐藤豪
うーん。
一柳さん
その未熟な状態で注目されて、ちやほやされると調子に乗るわけだよ。でも、自分は移籍したりケガをしたりして、「これじゃダメだな」って思って、サッカーも普段の生活も見直して、そこから人の二倍努力をしたなって感覚はあるんだよね。
佐藤豪
うんうん。
一柳さん
二倍努力して、U22日本代表までは行けたんだけど、やっぱりその先、実際に代表でプレーすると、あのレベルの選手たちと競うには、さらに倍の努力が必要だなって感じるよね。今振り返ると。

そこから先に行くために必要だったことは、更なる努力だった。
佐藤豪
ああ、なるほど。
一柳さん
でもね、その時に100%サッカーに集中できていたかと考えるともっとできたんじゃないかと思うし、自分の私生活を含めサッカーへの向き合い方や努力の方向性も正しかったのかと思うこともあるよね。
佐藤豪
やっぱりプライベートや他のことが影響する部分もありますよね?
一柳さん
そうそう。例えば、自分がリフレッシュで酒を飲んで遊んでる時に、代表になった選手たちはトレーニングしてたんだろうなって思ったりもするし。
佐藤豪
うんうん。
一柳さん
今振り返ると、自分はまだ未熟だったなと思うよね。いろんな経験を経て、ようやく地に足をつけてやってる感じかな。
佐藤豪
その未熟さ、みたいなものをを自覚したタイミングって、具体的にいつごろなんですか?
一柳さん
試合に出れない時やケガをしてうまくいかないときに色々気付かされたね。
ヴェルディ時代は、若くしてトップチームに昇格してU-22代表まで入ることができたけど、そこから上に行く選手は明確に目標があってその為の努力を怠らなかったんだと思う。
佐藤豪
なるほど。。本当に、トップ中のトップに行く上での、競争原理を感じますね。。
話は少し変わるんですけど、今の台湾ではタイのように結果を求められるプレッシャーはありますか?
一柳さん
台湾はタイほどのプレッシャーはないかな。チームから信頼されているのは感じるし、タイのように「一試合ダメならクビ」みたいなことはないね。だからこそ外国人として良いパフォーマンスを毎試合することを心がけてる。

佐藤豪
そうなんですね。
台湾の人たちって優しい印象がありますが、どうですか??
一柳さん
そう。めちゃくちゃ優しい。ただ、サッカーにおいては、もっとガツガツいく部分があってもいいのかなと思うところもある。能力の高い選手はたくさんいるんだけどね。
※一柳選手は先述の通り、2019年、台中Futuroへの加入を皮切りに、台湾でプレー。現在はAC 台北でプレーし、2024シーズンはキャプテンとしてチームを支え、DFながら7得点を記録。契約も2026年シーズンまで更新がされ、今後も更なる活躍が期待される。
台湾でのプレーや生活は、一柳選手のinstagramにて発信。
セカンドキャリアへの考え方、PRØJECT ONEについて
佐藤豪
サッカー選手としてのセカンドキャリアについてはどう考えていますか?
一柳さん
セカンドキャリアで具体的にこれがしたい。っていうのは見つけてないけど、サッカーに育ててもらった恩を返すのは当然だと思っているから、現役中からできることはやっていきたいと思う。
今はそれ以上に「サッカー選手としてやれるだけやり切ろう」というスタンスでやってる。
佐藤豪
やれるだけやり切る。その考え方が一貫してますね。
一柳さん
もちろんいつか終わりが来るし、不安もあるけど今までの自分の経験値や適応力があれば何でもできると思ってるからそれ以上に楽しみの方が大きいかな。
台湾に来てサッカーの楽しさをもう一度思い出せたし、この年齢まで続けられてることがボーナスステージみたいなものだと思ってるから。
家族や妻もそうだし、多くの人にサポートしてもらってるから、それに応えられるようやり切るって感じかな。
佐藤豪
なるほど。その姿勢、素晴らしいですね。一方で、取り組まれて数年になる、PRØJECT ONEの活動も、多岐にわたってきている印象です。僕も参加させていただく機会もありますが、この記事の中でも、少し紹介させていただきますね。
一柳さん
もちろん。よろしくです!
佐藤豪
今日はありがとうございました!
<PRØJECT ONE>


一柳さんを中心に、地域貢献×サッカー普及×日台交流
サッカーを通じて日本と台湾をつなぐ架け橋になり、社会に還元していくことを目的として立ち上げたプ ロジェクト。
現在は東京都八王子市や拓殖大、中央大、法政大学の各サッカー部と連携し、小中学校にサッカーや給食交流などの機会を設けた他、地元⻄東京市の児童館にボールの寄付や子ども食堂 に野菜を届けたり、台湾でもサッカーイベントを開催するなど、積極的に活動の場を広げている。
<instagram>
<八王子市との取り組み>
日台交流強化を目的としたプロジェクト「PR0JECT ONE」からサッカーボールの寄附を受領|八王子市公式ホームページ
第二話編集後記
サッカーを通して人生を謳歌している!一柳選手に対して以前から持っていた印象である。その印象を、改めて強く持つことになるインタビューであった。うまくいかないこと、うまくいったこと、という分け方をするのではなく、全てが自身の糧になり、それを染み込ませ、アップデートしながら前に進んでいる印象の一柳さん。
特に、海外へ進出してからは、その文化や現状をまず受け入れ、許容力をもって、その先にあるワクワクを楽しみにしながら、突き進んでいく、まさに冒険家のようだと感じた。
現所属のAC台北との契約も2026年まで延長されることになり、まだ見ぬ景色を見に行く姿勢は、筆者含めて働き盛り世代としても大いに刺激を受ける。
円熟味を増しながらも、まだまだ挑戦思考の一柳さんの今後が、ますます楽しみである。