INTERVIEW

INTERVIEW
2025.03.04

【Vol.1】高校生Jリーガーとしてデビューから23年。一柳夢吾さんが歩んできた、プロサッカー選手としての、特異な道。

一柳夢吾|AC台北

PROFILE

一柳夢吾|AC台北 YUGO_ICHIYANAGI

一柳 夢吾(いちやなぎ ゆうご) 1985年4月2日東京都西東京市出身。ポジションはディフェンダー。 東京ヴェルディ1969のアカデミー出身。ユースからトップチームに昇格後、2005年にはサガン鳥栖、2008年にはベガルタ仙台への期限付き移籍。世代別の日本代表も経験。ファジアーノ岡山、松本山雅FCでもプレー。 2013年限りでFC琉球を退団した後はタイでプレーしていたが、2016年よりザスパクサツ群馬に完全移籍により加入し、3年ぶりに国内でプレー。 2019年より舞台を台湾に移し、活躍。現在はAC台北でキャプテンを務めている。

一柳夢吾|AC台北

PROFILE

一柳夢吾|AC台北 YUGO_ICHIYANAGI

一柳 夢吾(いちやなぎ ゆうご) 1985年4月2日東京都西東京市出身。ポジションはディフェンダー。 東京ヴェルディ1969のアカデミー出身。ユースからトップチームに昇格後、2005年にはサガン鳥栖、2008年にはベガルタ仙台への期限付き移籍。世代別の日本代表も経験。ファジアーノ岡山、松本山雅FCでもプレー。 2013年限りでFC琉球を退団した後はタイでプレーしていたが、2016年よりザスパクサツ群馬に完全移籍により加入し、3年ぶりに国内でプレー。 2019年より舞台を台湾に移し、活躍。現在はAC台北でキャプテンを務めている。

【はじめに】

今回インタビューを受けてくれたのは、一柳夢吾選手。

東京ヴェルディの下部組織出身で、高校生ながら2003年にトップチームデビュー。U22日本代表をはじめとする、各世代の日本代表にも選ばれ、筆者含め、その世代のサッカー関係者で知らない人はいないだろう。

国内クラブのみならず、タイ、台湾でもプレーし、現在はAC台北のキャプテンも務める、現役バリバリの選手である。

冒険者のように、サッカーを通じて人生を歩み、社会と混ざり合う一柳さん。その特異なキャリアを、デビュー当時から現在に至るまで、明るく爽やかに語ってくれた。

※一柳さんとの関係性で、フランクな表現でインタビューが進んでいきます。

話者:一柳夢吾

インタビュー:佐藤豪、鈴木崇文

一柳夢吾さんのプロサッカーキャリア

佐藤豪
イチさん、お時間いただきありがとうございます!今日はよろしくお願いします。

一柳さん
二人とも元気してますか?
変わらずやってますよ。おじさん。

 鈴木崇文
元気です!今39歳の年ですか?

一柳さん
39歳。来月には40になるよ。

鈴木崇文
すごいなぁ。現役続けてるって。

佐藤豪
本当にすごいですよね。プロキャリア自体は、何年経ちますか??

一柳さん
どうなんだろう。一応17歳からやってるから、、、23年になるのか?

鈴木崇文
すごい。

一柳さん
もう、やばいよね。よくやってるよって自分でも思うよね(笑)疲れが抜けないよ。(笑)

鈴木崇文
まあ、そうだよなぁ。

佐藤豪
イチさん。インタビューなんですけど、他の方って割と質問準備させてもらってお話聞いてるんですけど、ちょっとイチさんはこう会話の中でっていうスタイルでもいいですか??

一柳さん
いいでしょう。そんな感じでいきましょう。

佐藤豪
それでまとめさせてもらって、NGとかないかは後で確認してもらうっていう感じで。

一柳さん
ああNGないよ。

佐藤豪
え!(笑)

最初から爽やかに会話をしてくれる一柳さん。様々な話をしてくれた。

佐藤豪

でもイチさんのキャリアをこう、改めて聞けるのって感慨深いなって思います。僕、イチさんとの初めての出会いって、テレビ越しだったんですよ。

クラブユース(高校の部活動でなく、全国のJリーグ下部組織や街クラブが参加する、夏の日本一を決める、ビッグトーナメント。)かなんかの夏の大会でイチさん取り上げられてて。

イチさんが、高三の時だったと思うんですけど。ヴェルディでTOPデビューしたみたいな、テレビに出てて、うわすげえ人いるなみたいな。

一柳さん
遠い。昔よ。(笑)

佐藤豪
でもそこから23年。だって23年キャリアやれる人って。本当の本当にいないですよね?

一柳さん

まあそうかもねえ。

佐藤豪
デビューしたのが2003年ですよね??恐らく高校3年生だと思うんですけど。


一柳さん
そうだね。デビューは高3の時2003年の4月。

佐藤豪
すごいな。え、TOPデビューしてから直後の、記憶に残ってることとかありますか??

一柳さん
覚えてる。浦和レッズ戦が特に。

佐藤豪
おー。

一柳選手のデビュー戦。相手は当時エメルソン選手、長谷部誠選手(元日本代表)を擁した浦和レッズ。高校生でこの舞台に立つことの凄さは、同じ世代を生きたサッカー人なら誰しも理解できるだろう。

一柳さん
国立競技場でやった試合なんだけど。

佐藤豪
だって、当時エメルソンとかいましたよね???

一柳さん
そう。エメルソンいて。それこそ永井雄一郎さんもいたでしょう。山瀬さんとかもいたし。

佐藤豪
本当強い時代のレッズだ。

一柳さん

しかも当時のヴェルディの選手はみんな、こう怖いというかさ。(笑)


練習から一つのミスも許されないようなピリピリした雰囲気だったから。
その中で、なんでこんなガキが試合出るんだよ、みたいな感じでさ。

佐藤豪
みなさん尖ってたというか??

一柳さん
いや、もうめちゃくちゃ尖ってたよ。まあ優しかったけど。でもやっぱさ、みんなこう、

普段けふざけてても、やっぱりあの当時の先輩の選手たちって、ピッチに入ったら人生掛けて死ぬ気でやってたからさ。なんかそういう、それまで自分がずっとユースでやってきたけど、そういう重みとかは全然違ったからさ。

佐藤豪
なるほど。メンタル的にもついていけたんですか?プレーの強度に関しても、気持ちというか、守備の場面だと本当に足ごと狩りに来るとか、そういう感じじゃないですか。プレー自体も上のレベルだと。

一柳さん
そうね。いやだから。何だろう、その環境が自分の能力以上のものを引き出してくれたみたいな感じじゃない?もう半端じゃないところにこう、放り込まれて。

佐藤豪
なるほど。冷静に学びながらやるっていうよりも、なんかもう、、

一柳さん
そうそう。だから、自分の能力以上のものを引き出してもらったかなっていう印象かな。

佐藤豪
そういう感じなんですね。

一柳さん
若い選手だからちょっとこう育ててとか、何試合か見て、みたいなことは全くなかったからね。

佐藤豪
それは厳しい。

一柳さん
もう誰が何歳だろうが、もうその一発の与えられたチャンスで何も残せなかったらもう次のチャンスないよ、みたいな。

そういう意味では、すごく鍛えられたというか、まーあの環境がなかったら、ね。ここまで続けられてないかなって感じはするけどね。

佐藤豪
すごいなあ。おそらく当時、同世代でJリーグの試合に出ている人って、ほとんどいなかったと思うんですけど、そういった状況下でプレーするって、すさまじいことですよね。

一柳さん
いや、本当にそうだよね。

表現が正しいかわかんないけど、最初、それこそデビュー戦で国立競技場のピッチ上に並んだ時に、いやもちろん、全然行ったことないけど、戦争に行くような気持ちでさ。もう下手したらなんか、殺されるみたいな感覚というか。

だから、自分で結果を出して示さないと、生き残れないみたいな感覚だったよね。

佐藤豪
想像がつかない。

それって、視点変えると、トップでいきなり試合に出すって、引き上げる方も勇気がいりますよね。指導者側も、それって。

一柳さん
そうだね。当時、自分を使ってくれたのはブラジル人の監督だったんだよね。

佐藤豪
うーん。

一柳さん
でユースの試合を見に来てて、そこでの評価が高く、そこから上げてくれて、そんで使ってくれて。運が良かったとも思うけどね。

競争の激しいプロの世界で、生き抜いてきた一柳選手。当時の経験は、非常に大きなものだった。

佐藤豪

いやー本当、すごい形でJリーガーとしてのキャリアをスタートされたことがわかります。Jリーガーとしてのキャリア的に言うと、次はサガン鳥栖ですよね?

一柳さん
そう。一年レンタルで鳥栖に行って。で、またヴェルディに戻って二年やったのかな?その後にベガルタ仙台に行って、岡山、松本山雅も行って、琉球行って、そこからタイに行ったっていう感じかな。

佐藤豪
はい。はい。

一柳さん
それで、今台湾でプレーしてます。

佐藤豪
今のチームは入団して二年ですか??

一柳さん
今年の5月で、三年になるかな。

ふりかえると、タイとかも、契約もあってはないようなものだったから、一年契約でいきなり半分で切られたりとかさ。未払いもあったなあ。

佐藤豪
そんなこともあったんですか。海外だと聞くケースもありますけど。それって未払いが未払いのまま?ちゃんと回収できないんですか??

一柳さん
いや、だからそれをなんかこう、例えば、FIFA(国際サッカー連盟)に言ってとか弁護士立ててとかするとすごいお金と時間かかるからって言われて。

佐藤豪
あーなるほど。

一柳さん
そうそう。だから、一応チームと話して三ヶ月分払うって言われたから。もうだからその三ヶ月でいいよって話を落ち着かせたりして。残りの半三ヶ月分はもう諦めて、みたいに。

佐藤豪
それは精神的にもタフな状況ですね。。

一柳さん
本当だよね(笑)それで、その後なかなかチームがなくて、それでザスパに練習参加っていう形から入団につながっていった感じ。

佐藤豪
そっか、そういう流れだったんですね。

一柳さん
そう。練習参加させてもらって。当時もう30歳ぐらいだったんだよ。30歳の練習生って、昔一緒にサッカーやった選手とかもいるし、なんか、あるじゃない、プライドというかさ。

そういうの捨てなきゃいけないというか、まあ自分がもう、Jリーグでやるとしたらこれがラストチャンスだなと思ってたから。なんかそういう自分のプライドとか一回捨ててやった記憶はあるよね。その練習参加は。

佐藤豪
そのプライドを捨てるってどんな感じなんですか?その泥臭いプレーも厭わないとかどういう感じでプレーしてるって感じなんです??

一柳さん
いや、だからもうとにかく自分の持ってるもの全て出し切るというかさ、そういう恥ずかしさとか、格好つけるとか、もうダサいとかも、そういうのも、もう飛び越えてもう全て出し切るみたいな。

佐藤豪
うーん。

一柳さん
逆に、そういう時に自分がどういう選手なのかって気づけるっていうのはあるよね。

タイを経て、Jリーグに戻る際は、プライドも捨て、全てを出し切る覚悟で挑んだという一柳選手。プライドもわきに置き、一サッカー選手として挑む覚悟というものが、一柳選手の強さということを感じる。※写真は台湾でのプレー

佐藤豪
なるほど。なんか逆にこうタイ行く前とかっていうのは、なんていうのか、プライドも種類があるじゃないですか。結果を出すためには、自分をいったん置いておくのか、とか逆にプレースタイルにこだわるのか、とか。

タイに行く前とかは、どんな感じでプレーしてたかとかってなんかあります??

一柳さん

うーん、当時はまあ正直プライベートでもいろいろちょっと俺は抱えてて。メンタル状況が良くなかったし、パフォーマンスも全然良くなかったんだよね。

ここでは言えない昼ドラみたいなことが色々起きてて(笑)。一度日本から出たかったっていう思いもあって。

佐藤豪
あ、そうだったんですね。。

一柳さん
まあ松本山雅行くときも、岡山は二年契約で行って。その一年半の段階で、もう来年の契約はないよと言われてたのね。

佐藤豪
はい。はい。

一柳さん
そのタイミングで山雅から話が来てて。

その夏の半年も含めて、もう一年半契約で来てくれって言われて。監督も反町さんで、オリンピック代表の時もやってるから呼んでくれたのかなと思ったんだけど、実はそんなことなかったらしく。

鈴木崇文
えー、そうなんですか。

一柳さん
結局そう。で、半年で切られちゃって。そうそう、まあ、だからその一年半契約って言っても口約束だったから。

佐藤豪
そういったこと、あるんですね。

一柳さん

当時の山雅のGMも自分がヴェルディの時GM(※ゼネラルマネージャー/チームの強化部長ともいわれる。選手編成や強化面等を担当。)だった人だから、ある程度信頼して話を進めたんだけど、結局そんな感じで。

Jリーグでやりたかったけど、話が無くて、当時JFLだったFC琉球に加入することになったっていう流れ。

佐藤豪
口約束とかあるんですね、当時は。

一柳さん
そうね。いや、だから、それはまあ自分の甘さでもあるよね。

最初の会話では、口では一年半って言ってるけど、書面ではとりあえず半年しかなかったから。

佐藤豪
あーなるほど。

一柳さん
そうそう。まあだから、なんか若い選手に、移籍する際のそういうアドバイスをするとしたら、自分のプレースタイルとか、監督の考えるサッカーとか、なんかそういうのと、自分のプレースタイルがしっかりあったところに行った方がいいよっていうような、アドバイスはしたいなとは思うけど。

鈴木崇文
うーん。

佐藤豪
なるほどなあ。

鈴木崇文
結構ありますよね。その、強化部は評価してくれて取るけど、監督自身が、知らないでみたいな。

一柳さん
うん。そこは、しっかり理解して、合わせていった方が絶対いいなと思う。

やっぱ監督との相性もあるし、そういうプレイスタイルと、合うあわないとか絶対あるし。そこは考えていった方がいいなと思うね。

佐藤豪
その後琉球にも行ったと思うんですが、そういった経験も含めて、代理人とかつけて移籍したんですか??

一柳さん
いや、俺代理人つけたことないのよ。

佐藤豪
え、そうなんですか!

一柳さん
そう。

鈴木崇文
そうなんだ。

一柳さん
だから、その後タイに行くときも、結構前の段階からどうですか?って話はされてたんだけど。

当時あんまり、海外に行くとか、東南アジアとかアジアっていうのはあんまり目に触れてなかったから。あんまり考えてなかったんだけど、正直。

ただ、なんか一回、海外でやってみたいなっていうのがあって。それで最初、バンコクのチームから話しがあって、給料もまあすごい良くて。

佐藤豪
うーん。

一柳さん
もう家とか車も全部用意されてるからみたいな話だったから、じゃあ行きますっていう感じで行ったんだけど。

佐藤豪
はい。はい。

一柳さん
結局行ったら、テストがあります。みたいな。

佐藤豪
え!!

一柳さん
え??テスト??みたいな。何それ?って感じで。

こっちはもう契約する気で行ってるのに、テストって何だよみたいな。だから練習着とか何もないから、現地で安いやつ買って。

佐藤豪
生々しい。

一柳さん
そう。もう今はそういう情報知ってればさ、なんかそのまま事前にサインできるとかあったんだけど、俺当時はもうサインできるもんだと思って行ったら、練習参加で結局サインできないって言われて。

それで、その後半年ぐらいチーム決まんなかったのよ。

 鈴木崇文
えー。

海外移籍における様々なハプニングも経験した一柳選手。特に最初のタイ移籍の際は、苦労があったとのこと。

佐藤豪
それってそもそもタイの話をくれたのは、どんな人なんですか?知り合いで、情報持ってる人とかですか?

一柳さん
それはね、日本の知り合いの代理人というか、サッカー関係者みたいな人からそういう話をもらって。

佐藤豪
それ、ふざけんな!!みたいになんなかったんですか?

一柳さん
いや、めちゃくちゃなったよ。

佐藤豪
ですよね!

一柳さん
でも、もう日本もさ、その時点で移籍のマーケットは閉まってるし、どうしようと思って。でも全然やめる気もなかったから、探すしかないと。

それで半年間チーム探して、で、結局決まったのがもうバンコクから500キロぐらい離れたジャングルみたいなところだったんだよね。

佐藤豪

ジャングル・・

第一話編集後記

高校生で華々しくJリーグデビューした一柳選手。筆者は同世代であるため、その凄さ、いかにとてつもないかということがハッキリと理解できる。

当時の一柳選手の心境であったり、現場のヒリヒリ感を聞けたことは、一サッカーファンとしても大変興味深かった。当時の経験が、今もなお現役として活躍する原動力になっているのだということも同時に感じられた。

第二話では、タイに移籍して以降の歩みを語ってもらっていて、一柳さん自身が、サッカーを通じて人生を歩む姿が垣間見える内容になっている。

ぜひ、一柳選手の特異な歩みを引き続き楽しんでいただきたい!

第二話へ続く

(2025年3月18日公開予定)