INTERVIEW
【第一話】”変われる強さ”日高慶太|FC大阪
PROFILE
日高慶太|FC大阪 KEITA_HIDAKA
日高慶太(ひだか・けいた)1990年東京都世田谷区出身。横浜Fマリノスの下部組織を経て、桐蔭学園へ進学し、2006年にはU16日本代表に選出される。その後は慶應大学に進み、関東大学サッカーリーグで活躍。その活躍が認められ、2012年からJリーガーとなり、モンテディオ山形、FC町田ゼルビア、ブラウブリッツ秋田、ヴァンラーレ八戸でプレー。 その後、東京ユナイテッドFCへ移籍すると同時にビジネスシーンでも活動を開始。サッカープレーヤーとしての活動も継続し、2021年には当時JFLのFC大阪からのオファーを受け、JFLでプレー。2023年シーズンにFC大阪がJ3に昇格したことで、再びJリーガーとしてピッチに戻ってきた、異色の経歴を持つ。
PROFILE
日高慶太|FC大阪 KEITA_HIDAKA
日高慶太(ひだか・けいた)1990年東京都世田谷区出身。横浜Fマリノスの下部組織を経て、桐蔭学園へ進学し、2006年にはU16日本代表に選出される。その後は慶應大学に進み、関東大学サッカーリーグで活躍。その活躍が認められ、2012年からJリーガーとなり、モンテディオ山形、FC町田ゼルビア、ブラウブリッツ秋田、ヴァンラーレ八戸でプレー。 その後、東京ユナイテッドFCへ移籍すると同時にビジネスシーンでも活動を開始。サッカープレーヤーとしての活動も継続し、2021年には当時JFLのFC大阪からのオファーを受け、JFLでプレー。2023年シーズンにFC大阪がJ3に昇格したことで、再びJリーガーとしてピッチに戻ってきた、異色の経歴を持つ。
【はじめに】
今回インタビューを受けてくれたのは、J3FC大阪に所属する日高慶太さん。現役Jリーガーであり、その経歴は特異なものと言えるかもしれない。J1・J2・J3・JFL・地域リーグとすべてのカテゴリーを経験している異色ともいえる選手キャリアを送りながら、一方で経営者の側面を持つ。インタビューしながらも、その言語化能力には感心するばかりであった。
そんな日高さんが、サッカー選手としてのキャリアをどう過ごし、その中でサッカー選手の競技以外の可能性をどう感じているのか。ざっくばらんに話を聞くことができた。華やかで、エリート街道まっしぐら。そうみられることが多いと思うが、ハートフルで冷静で、人間味もある、そんな方であった。それでは。
インタビュー:鈴木崇文・佐藤豪
話者:日高慶太
第一話
地域リーグからJ1まで経験した、そのキャリアとは
鈴木:
まずは自己紹介じゃないけど、これまでのキャリアを振り返ってもらっても良いですか?
慶太さん:
了解です。慶應大学卒業後に、モンテディオ山形に加入して4年間在籍していました。その間に半年間FC
町田ゼルビアにレンタル移籍で加入した時期も含まれるんですけど。
その後は、ブラウブリッツ秋田に移籍をして3年プレーさせてもらって、そこからヴァンラーレ八戸に行って1年プレーして、その後に関東社会人サッカーリーグの東京ユナイテッドに加入、そこからチームが合併する形になり、東京武蔵野ユナイテッドでプレーすることになりました。
そしてその後に今所属するFC大阪に移籍する形になってプレーをさせてもらっている。これがここまでのサッカー選手としてのキャリアですね。
鈴木:
ありがとうございます。今ご自身でもされているビジネスもありますよね??
慶太さん:
そうですね。ヴァンラーレ八戸から東京ユナイテッドに移籍するタイミングで、人材系のベンチャー企業に、それこそ体育会の学生やアスリートに対するキャリア支援をしている会社に入社をしました。
コロナ含めた外部要因もあって1年以内に退社することになったんですけど、そのタイミングで自分で事業を起こす形になったんです。合わせて慶応大学の非常勤講師もセットになる形で。
そういった流れだったんで、自分の中では基本的にサッカーのウェイトは徐々に減らしていって、ビジネスの世界でチャレンジしていく意識でいたんです。
鈴木:
そんななか、またJリーガーに返り咲いたわけですよね?
慶太さん:
そうなんです。そういった状況下でFC大阪から話をいただいて、凄く悩んだんですけど、もう一回サッカーでチャレンジしようって決めて、移籍することにしたんです。自分の事業は継続しつつ、拠点が大阪になるので、慶応の非常勤はやめる形になったんですけど。移籍してから1年半でJリーグに昇格して、今に至るっていう感じですね。
佐藤:
すごい。そんなケースは聞いたことがないです。純粋にオファーがあった感じだったんですか??
慶太さん:
そうですね、純粋にオファーをいただきました。JFL時代に東京武蔵野とFC大阪の試合の際に自分のパフォーマンスを見てくれていてオファーをいただきました。
鈴木:
当時バリバリ出てましたもんね??
慶太さん:
そうですね。ただその当時は、そこからまたJリーガーに!っていうようなモチベーションでプレーしていたわけではなかったので、オファーをもらったこともびっくりしましたし、そのオファーをもらって、それを受けた自分にもちょっとびっくりしたというか(笑)あ、またやるんだ、俺みたいな。
佐藤:
いったんJリーグから退いて、本気度高くJリーグを目指しているチームに身を置くって、その現場の強度とかモチベーションに対して、もう一回最大限の情熱をもって取り組む必要があったと思うんですけど、その辺のアジャストってうまくできたんですか??
慶太さん:
それは、できましたね。当時FC大阪はJリーグに昇格するためのライセンスを持っていて、本気でそこを狙ってる段階だったんですけど、そういったクラブに移籍をするってことは、自分自身もその目標達成のために選手として貢献しなくてはいけないと覚悟を持って決断したので。
もちろん決めるまでは家族の事や仕事のこともあったので本当に悩んだんですけど、クラブの熱量や自分を必要としてくれているっていうことも感じていたので昇格するための力になりたいと移籍を決めました。
佐藤:
なるほど。とはいえ一度プロサッカー選手の世界から退いて、ビジネスマンとしてスタートしたり、大学の非常勤講師をやられていたりと、次のキャリアに向けて着々と歩みを進めていた中で、再度プロサッカー選手として、一年一年勝負していかなくてはいけない環境に戻ること自体リスクもあるように感じますが、選手として自信があったからオファーを受けたのでしょうか?
慶太さん:
そうですね、それもあるんですけど、振り返ると、八戸から地域リーグの東京ユナイテッドに移籍するタイミングで、トライアウトも受けなかったんですよね。
当時はもう社会人リーガーとしてプレーしながら徐々にサッカーの割合を落としていって、次のキャリアへ移行していくことを考えていたので。
ただ、やっぱりどっかで、それは逃げだったんじゃないのか、とか、本当にやり切れていたのかな、とか、もっと成長できたんじゃないのかな、っていう思いがずっと頭の片隅にはあったと思うんです。
それで、実際に選手として評価いただいてオファーをいただいた時に、心が動いちゃったというか(笑)実際にもう一回勝負したいっていう気持ちになったのが大きかったですね。当時はもう31歳ではあったんですけど。
鈴木:
なるほど。凄いな。その地域リーグでの経験って、生きている部分ありますか??その、ハングリー精神というか。
慶太さん:
そうですね、まず経験としてはめちゃくちゃ良かったなと思います。東京ユナイテッドにいるときって、例えば教員とサッカーを両立している方もいたりするわけですよね、あとはメガバンクで働いている人もいました。個々のスケジュールに合わせた活動となっていて。
今までプロの世界だと本当にサッカーが全てで、この世界でどう生き残っていくかどうか、どう活躍するかどうか、を考えている集団の中にいたわけなんですけど。
東京ユナイテッドではみんなサッカーをする意味も違っていたりするんですよね。お金をもらってプレーしている人もいれば、そうでない人もいて、お金をもらっていない人が試合に出て、もらっている人が試合に出られなかったりっていう状況も普通にあったんですよね。
その環境下でプレーしていると、改めて自分自身のサッカーをやる意味について考えさせられました。だから最後、FC大阪への移籍をする際に、自分がサッカーをやる意味っていうことはしっかり考えたうえで決断しましたね。
鈴木:
なるほど。どういう意味を感じたとか、お話しいただけますか?
慶太さん:
FC大阪がJリーグっていう舞台に昇格できれば、いろんな人に影響が与えられると思ったんです。一人の子どもや、応援してくれる人に夢だったり感動を届けたり、地域にも大きなインパクトを与えられるんじゃないかって。そういうチャンスがあるんだったらプレーしたいと思えたというか。地域リーグを経験したことによって、そういった明確な考えや思いを思って最後決断できたので、そういった部分は間違いなく地域リーグを経たからだと思います。
鈴木:
今、地域リーグを経験して、サッカーへの取り組む意味を考えるようになったっていう話があったと思うんですけど、今はJリーグ選手会の理事としても活動されていると思いますが、そういった経験もあってやってみようと思ったんですか??
慶太さん:
んー、そうですね、、自分自身は12年間、J1・J2・J3・JFJ・地域リーグと、すべてのカテゴリーを経験してきた中で、サッカー選手って、ピッチ上ではもちろんなんですけど、それ以外の部分でもできることってたくさんあると感じていて。
やっぱりJリーグだったりプロサッカー選手だったり、サッカー界全体に対して感じている課題もあったので、それを周囲と会話するだけでなく、実際に行動に変えていきたいなと思って決断したというのが背景ですね。
鈴木:
具体的にどういうことをやってみたいと??
慶太さん:
シンプルに、まだまだJリーガーの価値って高められるんじゃないかと感じます。例えばJ3であれば、仕事をしながらプレーをしている人もいるし、そういった先にセカンドキャリアやキャリアの問題も出てきている。
そういった意味で、一番大枠で言うと、やっぱりJリーグだったりJリーガーの価値を高めたいっていうことがまずありますね。簡単ではないですし、何か一つを変えれば劇的に変わるものではないと思っていますが、そこに対する手段はたくさんあると考えています。
鈴木:
なるほど。選手会の中では、現状だと、こういうことをやりたい!って言っても、それが優先されるわけではないと思うんですけど、それはそれでもどかしさみたいなものは感じたりするもの??
慶太さん:
うーん、それで言うと、まだ僕一人の意見で何か動かせるような立ち位置でもないしそういったフェーズでもないというところですね。今選手会として議論しないといけないことが決まっていたりするんで、それを全体で片付けながら、チャンスが出てきたら、という感じです。シーズン移行の話であったり、他にも話して進めないといけないことが多くあったりするので、そこに対して自分ができることを今はやっている状況です。
※2026-2027シーズンから正式に秋‐春開催となることが発表された
https://www.jleague.jp/news/article/26796/
鈴木:
でもそういった議論も、Jリーグの価値を高めていくことにつながっていく話ですよね。
慶太さん:
そうですね。あと感じるのが、僕自身だと、Jリーグの中でも下のほうのカテゴリーを見てきている時間が長いですけど、会長の吉田麻也さん(現 ロサンゼルスギャラクシー所属)なんかだと、海外含め本当にTOPを見てきている人たちなんで、視座っていう意味では、上から見てきた人の見方は勉強になると感じることも多いですね。
鈴木:
そういった経験も、チームの若い選手に落とし込んでいったりは??
慶太さん:
そうですね。話をしたりはします。自分たちが当たり前だと思っていることが、環境が変わると全然違ったりもするので。海外のスタンダードと、日本のスタンダード、もちろんJ1やJ2,J3でも違ったりするので。
ただそういった違いを、カテゴリーが違うから、と言い訳にしてしまう側面もあると思うんで、同じ基準で出来る部分は基準を下げる必要はないし、そういった部分で感じるところは働きかけをしながら還元をするようにはしていますね。
第一話後記:
慶太さんのようなサッカー選手としてのキャリアを歩んでいる方は恐らく稀だと思う。様々なカテゴリーを経験するからこそ見えるもの、また、自分自身で事業を営んでいるからこそ見えるものがあるのだなと感じた。
第二話ではそんな慶太さんが、大学の同期からの言葉で、サッカー選手として生きる中で、社会人として生きる中で、大きな影響を受けた言葉についても話してくれた。