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2024.07.25

【第二話】”清水慶記さん(元ザスパ群馬)に迫る”なぜ15年にも渡り、Jリーガーであり続けられたのか。

清水慶記|よろこびをしるす。/ザスパ群馬アンバサダー

PROFILE

清水慶記|よろこびをしるす。/ザスパ群馬アンバサダー KEIKI_SHIMIZU

清水慶記(しみず・けいき)1985年群馬県出身。2008年に、流通経済大学から大宮アルディージャへ入団。2013年にプロ6年目で初出場を果たす。 2016年より地元・群馬県をホームタウンとするザスパクサツ群馬に期限付き移籍。同年はリーグ戦全試合を先発でフル出場を果たした。 2018年よりブラウブリッツ秋田に期限付き移籍し、シーズン終了後、大宮へ復帰。その後は 2020年にザスパクサツ群馬へ完全移籍。 4シーズンプレーしたのち、2024年1月6日に現役引退が発表された。Jリーガーとして、150試合以上に出場する記録を残した。 現在は、自身でチョコレートブランドを立ち上げながら、ザスパ群馬のクラブアンバサダー、アカデミーコーチも務める。

清水慶記|よろこびをしるす。/ザスパ群馬アンバサダー

PROFILE

清水慶記|よろこびをしるす。/ザスパ群馬アンバサダー KEIKI_SHIMIZU

清水慶記(しみず・けいき)1985年群馬県出身。2008年に、流通経済大学から大宮アルディージャへ入団。2013年にプロ6年目で初出場を果たす。 2016年より地元・群馬県をホームタウンとするザスパクサツ群馬に期限付き移籍。同年はリーグ戦全試合を先発でフル出場を果たした。 2018年よりブラウブリッツ秋田に期限付き移籍し、シーズン終了後、大宮へ復帰。その後は 2020年にザスパクサツ群馬へ完全移籍。 4シーズンプレーしたのち、2024年1月6日に現役引退が発表された。Jリーガーとして、150試合以上に出場する記録を残した。 現在は、自身でチョコレートブランドを立ち上げながら、ザスパ群馬のクラブアンバサダー、アカデミーコーチも務める。

【現役編】

第二話は、現役編。

清水慶記さんは、引退するまでの15年間、試合に出れているときもあれば、出れていないときもあったとのこと。ゴールキーパーという、チームで試合に出られる選手は1人だけであるという特異なポジションにて、どのように生き抜いてきたのか。また、生き抜く術を、どのような過程において身に着けたのかについても語ってくれた。

それでは。

なぜJリーガーになれたのか。どのように、自分自身を成長させてきたのか。

佐藤豪

今度は、現役時代の話を聞きたくて、いくつか質問があります。

慶記さんの記事を拝見する中で、プロになるのが順風満帆ではなかったという内容を読みました。ご自身で、まずなぜプロになれたのか、かつ、なぜおそらく15年、16年と現役生活を続けていると思いますが、なんで生き残れたのか?

みたいな自己分析をするとしたら、どんなことがありますか?

慶記さん:

 そうですね。まず、僕自身、小学校、中学校とか試合に出られてなかったんですよ。

佐藤豪:

 え、本当ですか?

慶記さん:

そうなんです。入ったチームがもうすでにうまいチームだったんで、最初はそこで結構挫折感というか、味わってきたんです。

けど、試合に出れずに、ベンチとか、外からも見たりするんで、そういった中で試合に出られている選手は何で出れているんだろうって考えた時に、やっぱり何かしらの武器を持っている選手が多いな、って思ったんですよね。

 例えば足がめちゃめちゃ速い。めちゃくちゃ走れるとか、ロングフィードがすごく正確だとか、パスが正確だとか、体が強い、ヘディングが強いとか。

大学に行った時も、やっぱりプロになる選手はそういう選手たちばかりで、何かしら特徴があるというか、清水慶記だったら何が得意だよねって言われるような選手にならないとダメだなっていうのは、中学校、高校あたりで感じたところがあって。

なので基本、自分の得意なところを研ぎ澄まそうというか、そこを主に重要視してトレーニングしてたかなって思います。

サッカーを始めたころから順風満帆だったわけではなく、自分を見つめながら成長を続けたという慶記さん。

佐藤豪: 

なるほど。

その、自分の強みかなって言えるものが一つあれば、そこにフォーカスできると思いますけど、なかなかそういったものが自分で分析できない人も多いのかなと思った時に、慶記さんはその当時、どんな自己分析でこれが強みだと思ったんですか?

慶記さん: 

最初は僕自身、中学校の時はシュートストップが強みだと思っていました。

でも、高校にると、クロスボールやロングボールが結構多用されるチームになって、僕自身ジャンプ力が結構あったので、守備範囲を広くして、飛び出せる、ハイボールの処理が得意でもあったんで、そこにフォーカスしました。キーパーってポジションが一つしかないので、なかなか違いを出すのが難しいですよね。

例えばチームでロングボールを多用してくるチームだったら、「じゃあ、清水を出した方がいいかな」と監督に少しでも頭に入るにはどうしたらいいのかを考えていました。

なので、ジャンプ力があるなって自信があったので、ハイボールに対してどんどん出ていこうと。ハイボールに出ていくためにはキャッチやパンチングの技術を高める必要がありました。

キャッチが全部できるわけじゃないので、パンチングの技術を高めて、少しの力で遠くに飛ばせればセカンドボールを作らずに勇気を持って出ていける。そう考えて、残って練習して、今出ている選手よりも、ライバルよりも少しでもトレーニングすることを心がけていました。

佐藤豪:

 なるほど。

慶記さん:

 自分の強みを見つけるのは難しいですけど、僕自身はそういうふうなところで何かしらのきっかけを見つけました。自分の中で、切り返しが早いなとか、周りを見れてるなとか、そういう部分を自分で見つめて、伸ばしてみた方がいいと思います。

ザスパクサツ群馬在籍時のトレーニングの様子 ※清水慶記さんご提供写真。

佐藤豪:

 なるほど。なるほど。その辺の取り組みが実を結んできたなと感じたのは、高校生とか大学の時ですか?

慶記さん:

 そうですね。高校、大学で自信を持てるようになってきました。

佐藤豪:

 なるほど。それで実際、大学の時にJクラブからいくつか声がかかったんですか?

慶記さん:

ヴァンフォーレ甲府と大宮アルディージャから、取ってくれるよって話をいただいてました。練習参加しに行ったのは大宮と甲府ですね。両方とも当時はJ1でしたけども。

佐藤豪:

そうなんですね!

慶記さん:

そういった中で、大学時代の監督が薦めるクラブに行きました。(笑)大きな母体がついているクラブで、しっかりしたクラブでもありましたし、振り返っても、行けてよかったなと感じていますね。

佐藤豪:

 ありがとうございます。

Jリーガーになって以降、数年間は、なかなか出場機会に恵まれない状況が続いたと思いますが、契約の時期になると心配になったりとか、その時はどう考えて取り組んでいましたか?

慶記さん:

 そうですね。ここでも、自分の特徴を磨くことを意識していました。若い頃はずっと一番年下でやっていて、周りにベテランの方が多かったというのもありまして、近くにいるキーパーの良い部分を学びながら、その選手たちと違いを出したいと常に意識していました。

佐藤豪:

 その頃は一日一日が勝負でありつつ、一日二日で立場が変わるものではないじゃないですか。キーパーで特にメンタル的な難しさとかはなかったですか?

慶記さん:

 ありましたけど、小学生中学生での経験が生きていたと思います。サッカー選手の生活に向いてない性格なのかなと感じることもありましたが、自分にベクトルを向けて、自分ができることに集中することで、周りの信頼を得ることができたのかなって思います。

佐藤豪:

 なるほど。その中で特に意識していたこととかは?

慶記さん:

 そうですね。あいつが後ろにいるなら、一緒に守ろうっていう気持ちにさせることが大事なんじゃないかなって思ったんですよね。

ムカつくなって思われる声、コーチングではなくて、みんなで一つのゴールを守ろうという気持ちにさせるように意識していました。クラブの人たちもそれを見てくれていたのかなと思います。

Jリーガーになってからも、なお小中学生時代の経験が生きたと語る慶記さん。自分をみつめ、成長していく実感は、キャリアの礎になったことがうかがえる。 ※清水慶記さんご提供写真

長く生き残ることができる人(選手)の特徴とは??

佐藤豪:

 なるほど。自分だけでなく、周囲にも良い影響を発揮するという考えでプレーされていたのですね。

Jリーガーは華やかですし、憧れの場所・職業でもありますが、三年以上生き残れる人は少ない中で、15年、16年というキャリアを積んでいる人は本当にごくごくわずかだと思います。お話を伺って、自分の気づきとか感情に対してフォーカスすることができていると感じました。

逆に聞いてみたいのが、慶記さんから見て、生き残っていく人と生き残れない人の差はどこにあると思いますか?

慶記さん

 波がないというか、一定のラインで常にできる選手が生き残っている印象があります。毎日のトレーニングを試合を想定してやれる選手が生き残れる。簡単なことではないですけど、簡単なことを毎日積み重ねている選手が残っている感じがします。

佐藤豪:

 なるほど。ありがとうございます。サッカーもそうですが、ビジネスのシーンでも同じことが言えますね。波がある人よりも、常に安定している人のほうが、成果を出すんだなと感じます。

おそらく、セカンドキャリアの今にも生きている部分があるんだろうなと。

慶記さん

 そうですね。それはすごく生きている部分かなと思います。

それと思うのが、現状だと、やっぱり自分の立場から、今の子どもたちがJリーガーになりたいってなった時に、胸を張ってJリーガーを目指せよと言えないところがあるなって感じるんですよね。

佐藤豪:

 なるほど。それはもっと具体的に言うと?

慶記さん:

いわゆるセカンドキャリアの問題を改善していかないといけないという部分ですね。

いろんな角度から改善していかないと。年金制度も問題だと言われていて、解決していないところでいうと、今の親御さんたちも「サッカー選手になりなさい」と言えなくなってくるんじゃないかなと。

引退後に困ることが分かりきっているので、Jリーガーになったら安泰だよね、チャレンジできるよね、いろんな人が手伝ってくれるよねって形を作りたい。そういうふうに見せるためにロールモデルを作って発信したい。ある程度、Jリーガにまでなれれば、その後は食べれるようになってますよと言えるようになると、いいと思うんですよね。

佐藤豪:

なるほど。そうですよね。そう考えると、セカンドキャリアの課題の解決は、スポーツ界のためでもありますよね。

慶記さん:

 はい、本当にこのまま野放しにしていては、衰退していくんじゃないかなという可能性があるとも感じるんですよね。

努力をしてサッカー選手になっても、その後の人生のトータルで考えたら、不利だよねって思われる可能性がある。頭が良い選手だったら、普通に就職して役職に就いた方が人生で考えたら絶対そっちの方がいいという決断になる人もいると思います。

僕もキャリアを積んでいく中で、辞めていった人が早めに社会に出て形を作っていったのを見て、もうちょっと早く辞めていたら良かったのかなと思ったりするんです。それって夢がないじゃないですか。

Jリーグ、スポーツ界のセカンドキャリアの課題感も肌で感じるという慶記さん。今後のスポーツ界のためにもこの課題は少しずつでも解決していく必要があると思うと語る。

佐藤豪:

 うーん、なるほど。そうですね。。

慶記さん:

 せっかくJリーガーになったのに、契約が残ってても、カテゴリーによってはお金も多くもらえないし、それだったら次の事業に取りかかろうっていう選手もいると思います。それも夢がないなと、感じるんですよね。

完全燃焼して、自分がやり切ったと思って引退を迎えられたうえで、スムーズにキャリアチェンジできる形を作らないと業界は良くならないと思います。

佐藤豪:

 まさに、本当ですよね。チーム数は増えているけど、その分セカンドキャリアに移行しないといけない選手も増えているわけで。

慶記さん:

 そうですね。

佐藤豪: その辺どうですか?鈴木さん。

※ここで同席していた鈴木崇文(元町田ゼルビア~ファジアーノ岡山~ザスパクサツ群馬 現株式会社アスリートバリュー代表)に話を振ってみる。

鈴木:

 急に?(笑)この辺最後のまとめってことかな?

佐藤豪:そうですそうです(笑)

鈴木: まとめるのは難しいですけど、セカンドキャリア問題は選手のためのものでもありますが、サッカー界のためでもあり、日本の国力のためでもあるのかな、と思うんですよね。

みんなが100%順風満帆、っていうことは難しいですが、少しずつでも、慶記さんみたいな方がクラブやスポンサー企業を巻き込んで、充実したセカンドキャリアを築いていくのが大事だと思います。

佐藤豪:

私自身は、Jリーガーになれず終わった人間ですけど、だからこそJリーガーになることって、どれだけすごいこかとか、実際に身近でJリーガーになった選手の、その裏にあるものを見てきた人間であるなかで、その表に出ていない部分っていうものは、社会に発信していくべきことだと思うんです。

子どもたちの参考になる側面もあれば、社会がJリーガーという存在に対する見方も多面的になる。それがセカンドキャリアの課題を解決する一助にもなってくるのかなと思っています。

今日インタビューさせてもらったものを記事化して、しっかり世に発信できればと思うので、内容を確認していただきながら公開したいと思います。また引き続きよろしくお願いします。

清水慶記: わかりました。よろしくお願いします!

編集後記:

終始物腰柔らかく、またしっかり思考しながら様々な質問に率直に答えてくれた慶記さん。現在のセカンドキャリアの在り方は、クラブとの信頼関係や、関係各社との信頼関係があってこそ成り立つことなんだろうと強く感じた。そういった信頼関係を日常的に作っていたんだろうなと。また、一個人としてではなく、業界全体としてもセカンドキャリアに対する課題感も感じるという慶記さんの在り方は、一つのロールモデルになっていくだろうと感じた。

一方、慶記さんが15年という期間の間において、TOPアスリートでいられた理由もわかった気がした。アスリートは時として孤独な職業ではあるが、他者や社会に目を向け、自分を見つめる、アップデートする。そういった姿勢がある慶記さんだからこそ、これまで長くJリーガーとしてのキャリアを歩めたということも言えるかもしれない。

またそれは、社会一般のビジネスシーンでも、将来プロアスリートを目指す選手たちでも、自分の価値を高めるうえでは必要な姿勢であると感じた。

今後の慶記さんの更なる活躍が楽しみです!JLINEメディアも、頑張ります!