INTERVIEW
【第二話】”萬代宏樹さん(元ベガルタ仙台)に迫る”【現役編】~あの時があったから、18年間の現役生活があった~
PROFILE
萬代宏樹|BANDAI HIROKI FOOTBALL SCHOLL HIROKI_BANDI
萬代 宏樹(ばんだい ひろき)1986年2月19日 宮城県仙台市出身。 福島東高等学校卒業後、2004年にベガルタ仙台に入団し、入団初年度から活躍。3月13日の横浜FC戦でプロデビューし、同年4月24日に行われたヴァンフォーレ甲府戦では、当時のJ2史上最年少得点記録となるJリーグ初ゴールを挙げた。 その後、ジュビロ磐田、サガン鳥栖、ザスパ草津(現ザスパ群馬)、モンテディオ山形、水戸ホーリーホック、AC長野パルセイロでプレー。 2019年シーズンからJFLのラインメール青森FCでプレーし、初年度に2桁得点を達成。その後2021年をもって引退した。 引退後のセカンドキャリアとしては、子供向けスポーツスクール最大手のリーフラス株式会社に入社勤務ののち、現在は、BANDAI FOOTBALL SCHOOLの運営を軸に、多岐にわたる活動をしている。
PROFILE
萬代宏樹|BANDAI HIROKI FOOTBALL SCHOLL HIROKI_BANDI
萬代 宏樹(ばんだい ひろき)1986年2月19日 宮城県仙台市出身。 福島東高等学校卒業後、2004年にベガルタ仙台に入団し、入団初年度から活躍。3月13日の横浜FC戦でプロデビューし、同年4月24日に行われたヴァンフォーレ甲府戦では、当時のJ2史上最年少得点記録となるJリーグ初ゴールを挙げた。 その後、ジュビロ磐田、サガン鳥栖、ザスパ草津(現ザスパ群馬)、モンテディオ山形、水戸ホーリーホック、AC長野パルセイロでプレー。 2019年シーズンからJFLのラインメール青森FCでプレーし、初年度に2桁得点を達成。その後2021年をもって引退した。 引退後のセカンドキャリアとしては、子供向けスポーツスクール最大手のリーフラス株式会社に入社勤務ののち、現在は、BANDAI FOOTBALL SCHOOLの運営を軸に、多岐にわたる活動をしている。
第二話は、現役編。
18年間にもわたりプロサッカー選手としてプレーをしてきた萬代さん。キャリア通算400試合以上にも出場してきた。言わずもがな、そこまでプロサッカー選手としてのキャリアを積めることは、非常に稀であるといえる。サッカー選手としての能力というのは、もちろん技術、体力、秀でた特徴など様々あると思うが、”人間力”も一つの大きな能力であるということが、お話を伺う中で感じることとなった。萬代さんのサッカー選手としてキャリアを”支えた力”は何だったのか。
なぜ、18年間もプロサッカー選手でい続けられたのか??
佐藤豪:時間予定より少しオーバーしていますので、巻いていこうと思います。現役時代の話を聞きたいのですが、少し話がかぶる部分もあるかもしれませんがお許しください!
萬代さん:あっ、全然大丈夫です。はい。
佐藤豪: 現役生活を18年にわたり続けてこられたわけですが、なぜ18年も続けてこられたのか?ということについて聞きたくて。キャリア通算では、400試合以上出場されていますよね??
萬代さん: そうですね、430試合ぐらいです。
佐藤豪: それほどの実績を残せる選手は、なかなかいないですよね。何かしらの理由があると思うので、それを聞かせていただきたいです。
萬代さん: はい。
佐藤豪:まずベガルタ仙台から始まり、最終的なキャリアはラインメール青森でプレーされて、18年間。今日の冒頭にも少し触れた通り、Jリーガーの選手生命は三年ないしは四年と言われている中で、それだけ長く現役生活をプロとして続けられた理由を、ご自身で分析すると、どんなところにあると思いますか?
萬代さん:んー。自分で分析するのは恥ずかしいんですが、やっぱりターニングポイントがあったと思います。ベガルタ仙台からジュビロ磐田へ移籍して、順調な経歴を歩んでいた時は、自信に満ち溢れて「俺はサッカーでトップに行くぞ!!」という自信を持っていたんですけど。そんな中で、鳥栖に移籍したんです。
佐藤豪:はいはい。
萬代さん:ジュビロから完全移籍で移籍したんですけど、2年契約でジュビロ時代と同額を提示されたんです。当時の鳥栖はまだJ1に上がっていなくて、お金もそこまで潤沢ではないクラブでしたが、評価してくれて嬉しかったですね。でもその時は自分が少し天狗になっていて、「鳥栖なら出られるだろう」とか「俺がJ1に上げよう」という気持ちで行ったものの、なかなかうまくいかなかった。
佐藤豪:なるほど。
萬代さん:試合にも出られず、不満を口に出して態度にも出していました。今思えば最悪な選手像だなと思うんですが。。それで、一年目が終わり契約更新の時、二年目あるから来年頑張ろうと思っていたんですが、その時鳥栖の強化部長から「来季は構想外なので、チームを探してください」ということを通達されたんです。
佐藤豪:そんなことがあったんですね。。
萬代さん:その後、ザスパ草津(現ザスパ群馬)にレンタル移籍しました。その時に、「俺このままだったら選手生活が本当に終わるな」っていう危機感を本当の意味で感じたんです。そこからは本当にがむしゃらに頑張るようになりました。
佐藤豪:なるほど。
萬代さん:そこから群馬で頑張ったことが大きかったと思うんですけど、チームのためにとか、どんな状況でも歯を食いしばって練習や試合を続けることが大事だと。あとは本当は当たり前だと思うんですけど、態度や表情に不満を出さないことも最低限のこととして心掛けましたね。
佐藤豪:なるほど、それはまだ20代前半ですよね?
萬代さん:そうですね。鳥栖の時なので、24、25歳ぐらいです。
佐藤豪:その後に、山形に移籍ですよね。
萬代さん:そうです。草津で頑張って、サブも多かったですが、8点取れて、当時山形がJ1からJ2に落ちた時に声をかけてもらいました。
佐藤豪:そこは鳥栖から完全移籍でという形になりますか?
萬代さん:そうです。鳥栖からレンタルで群馬に行って、レンタル満了後に鳥栖との契約も満了で、完全移籍しました。山形では四年プレーをしました。
佐藤豪:なるほど、草津での経験があったから取り組み方も変わって、チームのためにと思うようになったんですね。そのスタンスはその後も続いていったのですか??
萬代さん:そうですね。山形の四年間もそうですし、その後も妥協せずにやってきました。不平不満を言わずに、しっかり練習に取り組む姿勢を持ち続けたっていう自負はあります。
佐藤豪:その部分が、競技人生が続いた理由でしょうか?周りからの評価も、チームのために献身的な選手だという評価が定着したのでしょうか?
萬代さん:そうですね。周りの人たちがそう伝えてくれました。代理人との関係も良く、自分のことをよく理解してくれていました。山形を離れた時も、すぐに他のチームから声がけをいただけて、結局水戸に移籍することになったんですが、そういった取り組む姿勢というものも、一つ評価されるポイントだったんだと思います。
佐藤豪:うーん。やはりそういった話や評価は伝わるのですね。
萬代さん:そうですね。試合に出られない時でも、しっかり取り組める選手だという評価というか。そういう評価も自分の自信にもつながりましたし、よりそういった部分は意識は強くなっていきましたね。
佐藤豪:自分が自分が、という時期と比べると、大きな変化ですよね。
萬代さん:なので、選手同士の関係も大事にして取り組むようになりましたね。練習にしっかり取り組む姿勢を見せることで、他の選手にも良い影響を与えることって、すごく大事だと思いますし。
長く生き残る人にある、共通項
佐藤豪:なるほど。その、長く続けられる選手と、短期間で終わる選手の違いは、やはりそういった人間性の部分や、取り組みの部分にあるのでしょうか?
萬代さん:正直、ほとんど人間性の部分だと思います。今の時代、トッププレイヤーの皆さんも素晴らしい人たちばかりです。どんなにすごいプレイヤーでも、やはり人間性があってこその評価なんだろうなと感じるんですよね。
佐藤豪:うーん。なるほど。
萬代さん:今それこそ近くでいうと、リャンヨンギさんとかもまさにそうですね。あと最近イベントでご一緒させていただいた大久保嘉人さんとか、福西崇史さんとかもそうです。トッププレイヤーの方たちと接してきましたが、みなさん素晴らしい人たちばかりですね。名波さんや、中山さんもそうですね。
この人どうしようもないな~っていう人には会ったことないです。大久保さんは、会うまでは、よくテレビで見ていた印象があったのでちょっと緊張しましたけど、実際に会ってみると、本当に何個も下の自分に対しても優しく声をかけてくれたりして。
佐藤豪:そうなんですね!
萬代さん:プレーがすごいから、すごかったから尊敬されるのはもちろんありますが、それだけではなく、人間性も評価されていると思いますね。自分もそうなれるようにしていきたいなと思いました。
佐藤豪:なるほど、それは大事な話ですね。話はそれますけど、育成年代の親御さんも、子供のサッカーの能力が高くて評価されると思っている方が多い気がしますが、実際には努力や人間性が大事だと思います。そういったことってもっと知ってもらいたいですよね。
萬代さん:そうですね。上手な子の親御さんは、上を見すぎてしまうことがありますよね。自分も小学校の頃は市の選抜にも入ったことがないですが、それはそれで受け止めて、努力を続けて少しずつ上達していったっていう経験もあるんです。
佐藤豪:はいはい。
萬代さん:その結果、中学校や高校でも上を目指すことができたってことを考えると、やっぱり努力を続けることが大事ですよね。
佐藤豪:うーん。
萬代さん:試合に出られなくても、練習を続けることが大事です。親が焦っても良い結果にはつながりませんし。子供のペースで努力をサポートすることが大事ですよね。
佐藤豪:なるほど。
萬代さん:真面目に努力を続けていれば、必ず結果はついてきます。
佐藤豪:うんうん。
萬代さん:あと話を聞ける子は伸びます。逆に、話を聞けない子は伸びません。コーチの言うことを実践しようとする子は、必ず成長します。自分の経験からも、それは確信しています。
佐藤豪:実体験から、そういったことを伝えることも大事にされているんですね。話を戻させてもらいますが、鳥栖から草津に移籍した時に「このままじゃ終わる」という危機感を感じて変わったということでしたが、、、
現役時代に、変われない、変わらない選手も多く見てきたと思いますが、そういう選手はどうなっていくのでしょうか?
萬代さん:そういう選手は、チームに所属し続けることが難しくなることが多いですよね。よっぽど能力が高ければ別ですが、カテゴリーが下がることが多いんじゃないかと思います。カテゴリーを下げることがダメということではなくて、自分が変わらないと、プレーも変わらないから出場機会を得るのが難しくなるんじゃないかなって。
佐藤豪:うーん。
萬代さん:自分の場合、そういったことに気が付けたのもそうですし、あとはコーチの存在が大きかったです。コーチが正しい方向を示してくれました。監督はね、チーム全体を見るからなかなか個々に目を向ける余裕はないと思うんですけど。
佐藤豪:なるほど。
萬代さん:山形の時も、コーチが「お前は間違っていない」と言ってくれました。それが大きかったです。コーチの言葉で、自分の自信が保てて、そこからさらに努力できるようになりましたね。本当に大きな支えだったなと。
中々出場機会に恵まれなくてもしっかり取り組んでいたら、メンバーを変えようかというタイミングで、コーチが監督に伝えてくれたりするんですよね。
今は出れてないけど、やってること間違ってないよって。チャンスが来たときは俺が自信をもってお前を押すからって。そういう迷いそうになった時にポロっと言ってくれたことで、自信を保ちながら取り組めていましたね。
佐藤豪:そうだったんですね。それもやはり日頃の取り組みをコーチが知っていたからだし、腐らずに前向きに取り組んでいた姿やプレーを評価していたということですよね。
萬代さん:きっとそうかなと思います。
佐藤豪:プロキャリア的には、ラインメール青森で三年間プレーされましたが、その際、環境的にはどうでしたか?モチベーション的なものもどう保ちながらプレーされていたのかなと、初年度シーズンは2桁ゴールも記録されていましたよね??
萬代さん:そうですね。カテゴリーが下がっても、目標があるチームに移籍できたので、モチベーションを保つのは大きかったです。長野から移籍するタイミングにおいても、ラインメール青森も明確にJリーグ昇格を目指してたので、それが自分のモチベーションを高めてくれました。
佐藤豪:なるほど。チーム選びも大事ですね。
萬代さん:そうですね。でもやっぱり、Jリーグ経験者も何人か在籍する中で、Jリーグを目指すうえでは、クラブとしてもう少しこういったところを改善していく必要があるよね、ここは必ず改善していかないといけないよ、っていうこともあったので、そういったことも伝えてはいましたね。なかなか難しいんですけど。
佐藤豪:なるほど。いや、でも萬代さんの人とかクラブとの関りとか、いろいろ聞かせてもらえたように思います。
萬代さん:いや本当に人に支えられてやってきましたね。自分一人では生きていけないので、コーチやサポーター含めて、周りの方々に支えられたっていう気持ちが強いですね。実際に、引退後も助けてくれる人が多かったんですよ。
佐藤豪:お話伺ってるとそんな感じがします!
萬代さん:今も応援してくれる人が多くて、スクールにスポンサーをしてくれる方もいます。
佐藤豪:なるほど。本当に具体的な支援、サポートですね。
萬代さん:イベントがある時には声をかけてくれたり、引退後も支えられていますね。なので、自分も誰かのために何かをしたいと思っています。
佐藤豪:なるほど。
萬代さん:そういった意味では、多くの方々に支援をいただきながら、子供たちに素晴らしい環境を提供することが大事だと思っています。自分が受けた恩を子供たちに還元することが目標ですね。
佐藤豪:素晴らしいです。
萬代さん:何をするにも、人とのつながりは、本当に大事だと思います。
佐藤豪:なるほど、ありがとうございます。ユース時代、僕萬代さんをすごいクールな人だと思っていましたが、今日、話を聞いて印象が変わりました。
萬代さん:そうですね。自分も昔はトゲトゲしていました。(笑)
佐藤豪:やっぱりそうでしたか(笑)
萬代さん:群馬に行ってから変わりましたね。それまではサポーターとは距離を置いていましたが、山形の時も、サポーターとも仲良くしていました。
佐藤豪:ああー。そういったところも変化があったんですね。
萬代さん:インタビューでも、最低限のことしか答えないのがかっこいいと思っていましたが、今は違います。サインを書く時も、一言二言交わすようにしています。その方が自分らしいと思いますし、人が好きなので、そういう対応が自分には合っていますね。
佐藤豪:ありがとうございます。だんだん自分らしく、競技にも、周囲の人たちにも、関わるように変化していったんですね。今日は本当に一時間ありがとうございます!ちょっとオーバーしてしまいましたが、記事としてメディアに載せたいと思いますので、お時間いただいて文面を共有させていただきたいです。
萬代さん:全然大丈夫です。はい。よろしくお願いします!
編集後記:
18年もプロサッカー選手で入れる人が果たしてどれほどいるだろうか?厳しい競争の中でしのぎを削り、自分の成長変化をエンジンに、一歩一歩キャリアを歩み続けてきた萬代さん。生き残り続けてきたからこそ、その言葉には説得力があった。
その歩みを、歴史を、経験を、現在は、未来を担う子どもたちに共有し、成長を支えている。決して”今の結果”に目を向けるのではなく、”今の取り組み方や考え方”に目を向けるその根本にあるものを受け取った子たちが、どのように成長していくのか、今から楽しみである。
そして改めて、18年間もプロサッカー選手として活躍してきた萬代さんの現役時代に触れることができ、喜びと感謝の気持ちでいっぱいである。