INTERVIEW

INTERVIEW
2024.09.04

【第二話】”高橋駿太さん(元カターレ富山)に迫る”【現役編】-サッカー選手としてのキャリアのターニングポイントは、自分の中での変化-

高橋駿太|カターレ富山 強化部スタッフ

PROFILE

高橋駿太|カターレ富山 強化部スタッフ SHUNTA_TAKAHASHI

富山第一高等学校で活躍後、2007年J2モンテディオ山形に入団。 2009年に、当時関東リーグに所属していた日立栃木ウーヴァSCへ移籍し、JFL昇格に貢献。JFL1年目となった2010年シーズンはチーム最多の13得点を記録した。 2011年にはFC琉球へ完全移籍。2012年には20得点を記録し、JFL得点王を獲得するなど大活躍。 その後AC長野パルセイロで2シーズンプレーたのち、J2ザスパクサツ群馬へ完全移籍し、1年目にJリーグ自身初の2桁となる11ゴールを挙げる。その後、2019シーズンより、地元・富山のカターレ富山への完全移籍。 在籍中、左膝前十字靭帯損傷および内側半月板損傷の重傷を負い、全治8ヶ月と診断されるも、不屈の精神で計5シーズンプレー。 2023年10月3日に、2023年をもって現役引退を発表。2024年より、カターレ富山で強化部として活動している。

高橋駿太|カターレ富山 強化部スタッフ

PROFILE

高橋駿太|カターレ富山 強化部スタッフ SHUNTA_TAKAHASHI

富山第一高等学校で活躍後、2007年J2モンテディオ山形に入団。 2009年に、当時関東リーグに所属していた日立栃木ウーヴァSCへ移籍し、JFL昇格に貢献。JFL1年目となった2010年シーズンはチーム最多の13得点を記録した。 2011年にはFC琉球へ完全移籍。2012年には20得点を記録し、JFL得点王を獲得するなど大活躍。 その後AC長野パルセイロで2シーズンプレーたのち、J2ザスパクサツ群馬へ完全移籍し、1年目にJリーグ自身初の2桁となる11ゴールを挙げる。その後、2019シーズンより、地元・富山のカターレ富山への完全移籍。 在籍中、左膝前十字靭帯損傷および内側半月板損傷の重傷を負い、全治8ヶ月と診断されるも、不屈の精神で計5シーズンプレー。 2023年10月3日に、2023年をもって現役引退を発表。2024年より、カターレ富山で強化部として活動している。

高橋駿太さんへのインタビュー第二話は、現役編。

プロサッカー選手として、10年以上のキャリアを過ごせる人間は、どれほどいるだろうか。厳しい競争社会の中で生き抜くということは、誰にでもできることではなく、選ばれた人間にしか成すことができないことである。

高橋駿太さんの、現役時代に迫り、生き抜くことができた理由を紐解いてみた。

話者:高橋駿太

インタビュー:佐藤豪

長きに渡って、Jリーグの舞台に立ち続けられた理由とは?

佐藤豪
ここからは、現役中の話を聞かせていただけたらと思います!

高橋駿太
はい。

佐藤豪

まずうかがいたいのが、駿太さん自身が紆余曲折ありながらも、長年Jリーグの舞台で生き残り続けられた理由っていうのは自分なりにどう分析されるのかっていうことなんですが、どうでしょうか?

高橋駿太
そうですね。まあ一番はやっぱりトレーニングだったり、まずは自分にできることを本当に100パーセントやることですよね。

やっぱり若い時は、自分が出れなかったら人のせいだったりとか、監督のせいにしてたんですけど、年齢が上がるにつれて、いろんなチームで良いベテランを見てきて、年齢が上がるほど、経験を積めば積むほど、やっぱり何があったとしても自分にベクトルを向けて自分が成長するためにやれることを100パーセントやるっていう部分が大切だなって感じますね。

あと僕自身は、チームのことを考えて、自分ができることを100パーセントやってたイメージがありますね。現役としては、17年やったんですけど、なんていうかな。本当に自分より上手い選手だったりとかはたくさんいたんですけど。

100%で取り組むことの重要性を話す、駿太さん。加えて自身は、”チームのために”という軸も持ちながらプレーしていた。

でも、なんで結局自分が、年齢が上がるにつれても、同世代の選手がやめていく中でも、結局、カテゴリーはJ3だったとはいえ、ここまで現役生活をやってこれたかっていう理由は、そこなのかなって思ったりするんです。

やっぱり最終的にはチームのことを考えて、自分が何をしなきゃいけないかということだったり、先発に出ようが途中から出ようが、その与えられた時間でチームのために頑張ってた部分があるからこそ、最後までこうやって年齢が上がってもチームに残ってこれたのかなっていう感じがあります。

佐藤豪
やっぱり組織として、そういった人材は必要ですよね。その、矢印を自分に向けれるようになったタイミングとかきっかけとかってあったりするんですか?

高橋駿太
そうですね。やっぱ一番は長野で戦力外通告を受けて、本当にもうチームがなくて。実際にもう家業のペンキ屋やろうかと思って親父に話してたんです。

じゃあもう一緒に出張行くかっていうところまで行ってて、その直前のタイミングで当時ザスパクサツ群馬に決まったんですけど。

自分の中でサッカー人生が終わってた。でも何かのチャンスで、J3のクラブを首になったのにJ2のクラブからオファーが来てチャンスをもらえた時に、やっぱりここがラストチャンスだというので本当に自分のサッカー人生で一番勝負をかけて取り組んでいたんです。そのときが一番自分が変われたかなって思います。

結局そのチャンスを掴んで、あれから八年ですかね、生き延びてきなって実感がありますよね。

ザスパ時代の駿太さん。AC長野パルセイロ退団後、一時は引退して家業を継ぐことを決めかけていたという。

高橋駿太
本当にそのチャンスを掴むために努力して頑張ってたので、そこが自分自身が変われた一つのターニングポイントかなっていう。

佐藤豪
なるほど。オンザピッチでもオフザピッチでも明確にここが行動として変わったとかありますか?

高橋駿太
そうですね。僕自身、J2の舞台は、実は山形以来で結構、もう十年ぶりぐらいだったかな?それくらいの時間がたった中で戻ることができて、オフシーズンもほとんどオフなしで毎日自分でトレーニングして、やっぱりそれくらいの取り組みが必要だと思ったので、本当にそのチャンスをつかむために一日一日を大切に過ごしました。

佐藤豪
一日一日の重要さがまるで変わった感じですか?

高橋駿太
変わりましたね。本当にこのチャンスをつかむために、自分が試合に出て活躍するためにどうしなきゃいけないか、アピールしなきゃいけないのかっていうのは本当に考えて考えて、頑張っていた思い出があります。

佐藤豪
さっき「良いベテラン」に巡り合ったって話がありましたが、”この人”に影響受けたという人はいますか?

高橋駿太
そうですね。。一人に絞るのは難しいですけど、

群馬ではマツ(松下祐樹さん:元ザスパクサツ群馬)さんがすごい、僕よりも全然年上なんですけど、トレーニングに取り組む姿だったり、本当にひた向きにトレーニングしている姿がすごいなと思って影響を受けましたね。

佐藤豪
うーん。

ー地域リーグの経験が大きな変化を生んだ

高橋駿太
あ、でも僕自身を一番変えてくれたのは栃木の時かもしれません。

あの時って僕、たしか山形でクビになって二年目で。その後当時在籍させてもらっていたチームは地域リーグだったんですけど、練習場も土とか、公民館の横で全然良くない環境だったんです。

でも、そこにはサッカーが好きで働きながらやっている選手たちがいて、本当にサッカーを楽しんでいる姿を見て、自分も変わらなきゃいけないと思ったんです。

今まで当たり前だった環境が当たり前ではないことを認識して、”サッカーを楽しんで” かつ、チームがJFL昇格するために一生懸命頑張っている姿を見て、自分も変わりました。

佐藤豪
なるほど。それほどの影響力があったんですね。

高橋駿太
本当にその時の経験が自分を大きく変化させたタイミングでした。よくよく振り返ると。

佐藤豪
すごいですよね。そこからまたJリーグに復帰していくプロセスをたどって、キャリアがまた伸びていく形って、なかなかそんな人はいなですよね。

高橋駿太
そうですね。その栃木時代に出た、国体だったかな、、、その時の自分のプレーをザスパが見てくれていて、結果、長野を満了になったあとに、ザスパから声をかけていただいたので、あの時の気持ちの変化がプレーに表れて、繋がっていったって思うと、本当栃木での時間もすごく自分のキャリアにおいては重要な時間だったって感じますね。

地域リーグへ移籍して、意識の大きな変化があったという駿太さん。当時の意識の変化が、取り組みを変え、後のキャリアを支えることになった。

佐藤豪

そういった経験からでもいいんですが、駿太さん自身、17年という長いキャリアの中から考えると、生き残っていく選手とそうでない選手の違いって何だと思いますか?

高橋駿太
僕の経験上、物事に対してベクトルを自分に向けられるか、自分に向けられないかの違いは大きいと思います。

やっぱりミスしたり、納得いかないことがあったとしても、それを受け入れられるかどうか。例えば監督だったりスタッフが良くないと思った場合、それを受け入れなければならないんです。それを受け入れて、自分の長所を伸ばしつつ監督の求めているプレーをやることが大事ですよね。

佐藤豪
なるほど。

高橋駿太
それをうまくやっていく選手が長生きするかなっていうのは年を取るにつれて思いましたね。

佐藤豪
そうは言っても、やっぱり自分にベクトルを向けるのは難しいことですよね?世の中の仕事でもそうですけど、自分がどうあるべきか、組織の中での役割が求められるかみたいなことは、すごく大切だなと感じます。そういった意味でいうと、サッカー選手も、能力だけで残っている人って、ほとんどいないですかね?

高橋駿太
そうですね。それこそクリスティアーノ・ロナウドやメッシとかはまた別だと思いますけど。でもやっぱり能力だけで、戦力としてバリバリ活躍し続けるというのはなかなか難しいと思います。

ベテランという立ち位置でももちろん、サッカー選手としての能力において戦力として求められることも多いと思いますけど、特に年を重ねれば重ねるほど、それ以外の部分、人間的な部分も求められるものが多いと思います。

佐藤豪
今、強化部という立場になって、ある意味選手を評価する側に立った時に、それを感じる部分もありますか?

高橋駿太
感じますね。やっぱりベテランの存在はすごく大事だと思っています。中にはうまく行っていないときに違う道にそれるベテランもいますが、それで若い選手が萎縮しちゃうこともあります。ベテランという存在はすごい大事なポジションかなと思います。

佐藤豪
自分に矢印を向けるというところでいうと、駿太さん自身、よくないことが起きた時に自分はどうするべきかとか、強みをどう磨いて発揮しようとしていたかとかは、ありますか?

キャリア終盤を過ごしたカターレ富山では、何を思い考え、プレーしていたのか。

高橋駿太
そうですね。ベテランと呼ばれる年代はほとんど富山で過ごしましたが、僕の場合は個人の結果というよりはチームのためにどれだけ戦えるか、どれだけ苦しい時にフォワードとして走れるかとか、勝ってるときは守備を頑張るとか。

チームのために戦っているというのが多かったです。僕が点を取ってチームが勝つより、チームが勝つためにどれだけ自分のプレーを出して、チームを助けるかということだけ考えてプレイしていました。個人の結果なんてどうでもいいというか、そこは若い頃は全く考えてなかったですね。

佐藤豪
なるほど。

高橋駿太
それがもしかしたら僕の強みだったのかなって思います。前線から本当にハードワークで守備を頑張ったり、攻撃では何回も走ってくれて助かったとか、後輩に言ってもらえてたので。その部分でチームのために頑張ってた部分が一番自分の強みだったのかなって思います。

佐藤豪
ありがとうございます。最後になりますが、怪我も大きな経験だったと思いますが、怪我からカムバックするときの辛さや乗り越え方はどうでしたか?

高橋駿太
そうですね。サッカー人生で初めての大怪我を負った時(富山時代のトレーニング中に左膝前十字靭帯断裂および内側半月板損傷の重傷を負い、全治8ヶ月と診断された)は、本当に辛くて。

あの時、二年契約の二年目で、最終契約の年で、ここで結果を出さないと終わりだと思ってました。

年齢的には32歳の時か。一年目で昇格を目指してできなくて、オフからの準備含めすごく良くて、いくぞ!っていうタイミングでの怪我だったんで、怪我をした瞬間は、サッカー人生が終わったと思いましたね。めちゃくちゃ泣きましたし。

ただ、支えてくれる家族やドクター、リハビリのトレーナーがいたので、その応援してくれる人たちのために復帰して恩返しをしたいと思いながらリハビリを頑張りました。ただこれも自分らしさなのか、実際に怪我して一ヶ月経たないうちには開き直ってましたね。

佐藤豪
その切り替えられる性格は、元々ですか?

高橋駿太
性格ですね。最初は死ぬほど落ち込んで、終わったと思ってましたが、いつの間にか開き直ってました。それよりも手術の怖い!とかことばかり気にしてましたね。(笑)

佐藤豪
そうだったんですね(笑)技術的にうまく向き合うというよりは、性格上、切り替えやすい性格であるっていうことですかね。それもご自身で理解している自分自身の強みの一つですよね!

・・・・・・・・・・

編集後記

自分の強みを理解し、体現し、そのうえで組織のために力を尽くす。その原動力は、支えてくれる人のため。

駿太さんの現役中の”軸”と言えるものに触れることができたように感じる。

一見、サッカーの能力でプロ選手になったと思われることが多いが、長く現役でプレーするJリーガーは、見えない部分で、自身の理解に努め、強みを発揮し、組織に貢献する、ということを行っている。

これは、ビジネスシーンでも、生き残っていく上では共通することであろうと思う。

Jリーガーとしての経験をもとに、今後の駿太さんのますますの活躍が楽しみです!