INTERVIEW
【第一話】越智隼人さん(元モンテディオ山形) ”セカンドキャリア編”~若くして決断した、引退。そして山形の地で歩む、セカンドキャリア~
PROFILE
越智隼人|解説/S・F・Cジェラーレ代表 HAYATO_OCHI
越智 隼人(おちはやと)1982年7月17日 埼玉県上尾市出身。 横浜Fマリノスユースから、セレッソ大阪入に団し、2年間プレー。その後モンテディオ山形へ移籍してプレーしたのち、22歳で引退を決断。その後山形県内でセカンドキャリアをスタートし、スカパー!時代から引き続いて、現在はDAZNでJリーグ(モンテディオ山形ホーム戦)の解説を務めながら、自身で運営するクラブ、S・F・Cジェラーレの代表を務めている。
PROFILE
越智隼人|解説/S・F・Cジェラーレ代表 HAYATO_OCHI
越智 隼人(おちはやと)1982年7月17日 埼玉県上尾市出身。 横浜Fマリノスユースから、セレッソ大阪入に団し、2年間プレー。その後モンテディオ山形へ移籍してプレーしたのち、22歳で引退を決断。その後山形県内でセカンドキャリアをスタートし、スカパー!時代から引き続いて、現在はDAZNでJリーグ(モンテディオ山形ホーム戦)の解説を務めながら、自身で運営するクラブ、S・F・Cジェラーレの代表を務めている。
今回インタビューを受けてくださったのは、越智隼人さん、埼玉県出身。天才的プレーで早くから頭角を現し、横浜Fマリノスユースから、セレッソ大阪に入団。当時では珍しい、Jリーグクラブ間での高卒入団。
プロ入り後は4年間プレー。モンテディオ山形でプレーの後、セカンドキャリアの地として山形を選び、現在は山形県内のクラブチーム、S・F・Cジェラーレの代表を務め、合わせて解説業も行っている。
天才と呼ばれた越智さん。プロ入り後のこと、セカンドキャリアのこと、多くを語ってくれた今回のインタビュー。ぜひ多くの方々に届いてほしい。
若くして決断した、引退。
佐藤豪
越智さん、今回はありがとうございます!
早速ですが、高卒でプロになられて、引退されたのは、22歳でよね?その若さで、その決断に至った背景をまずは教えていただけたらと思います。
越智さん
いやもう素直に、最後モンテディオ山形でプレーをしていて、自分の限界を見てしまったというか。
振り返れば、自分で作ってしまったという風にも言えるかもしれませんけど。それまでに近くで大久保嘉人みたいな存在がいて(セレッソ大阪時代に共にプレー)、こう、ものが違うなっていうのは肌感覚で感じていたんですよね。
こういう選手が上に行くんだろうなぁって。比較すべきところがちょっと極端すぎたかなって今では思ったりもしますけど。
それで山形に移籍して、もう一回チャンスだし、出し切って自分を試そうかなと思ってたんだけど、開幕戦以降、なかなか起用されなくなったっていうのもあって。
もう力ないんだろうなっていうふうに、自分で感じる部分があったんですよね。自分の立ち位置っていうのを、そのサッカー界の中で、Jリーガーとして活躍するのは難しいのかなっていう判断を自分でしてしまったんですよね。おそらく。
佐藤豪:
それって、今になって客観的に見ると、どう思うか。違う見方とかあります?もうちょっとできたのかな?とか。
越智さん:
いや。もちろん、もっとできたなとかはね、思いますよ。
試合に出続けている選手の体と、自分の当時の自分の身体的な体つきとかを比較すると、自分は線が細かったし。
多分その食生活から、もっと体を大きくする努力とかっていうのはできたはずだなっていうのは本当に思うし。
食生活含め、アスリートとしての体づくりを本気ではやってなかったっていうのは思いますよね。若かったっていうこともあるんだろうけど、やれることは全てやったっていう感じではないですね正直。
もう本当に自分自身の問題だったな、とは思いますね。
佐藤豪:
ありがとうございます。
もともとこう、当時では変わった形というか、ある種の鳴り物入りで、セレッソ大阪でプロのなったと思うんですが、
当時親会社の関係で、横浜フリューゲルスの下部組織から同じ横浜の横浜マリノスユースに統合となり、そこから、当時では珍しいと思うんですけど、他クラブであるセレッソ大阪に、力を認められて入団した。
他クラブながらも、才能を見出だしてくれて、入られてるっていうところで。
越智さん:
そうですね、まあ、最初マリノスユースからセレッソ大阪に入団するっていうのも、実はいろいろあって。
ユース時代に大怪我を三年生の時におって、ちょっと怪我の状態もみながらっていうのもあって、マリノスでのトップ昇格みたいな話がなかなか進まなかったっていうのもあるんですよ。
そうこうしている間に、セレッソが手挙げてくれて。結局マリノスも、その後やっぱりうちに上がろうみたいな話はくれたんですけどね。
そういう話が、実はあったんです。その怪我も、手術をする必要があるレベルだったので、単純に、プロサッカー選手=商品という見方で言ったら、欠陥品をすんなり取る、真っ先にこう獲得するっていうのもマリノスとしたら、難しいですよねって思うんですよ。渋るのも納得というか。
でも、その時代に一緒にプレーしていた選手のうち、他に八人か九人がトップチームに上がったんですよ。みんなマリノスに行った中で。逆に僕だけが外から声がかかって、実際に外のクラブに入団するっていう状況でしたね。
佐藤豪:
あんまり当時では聞かないですよね。下部組織育ちで、他のJクラブから誘いがあり、そのまま入団って。
このままそのあたりの話を深掘りしていきたいなと思いつつ、ちょっと話をセカンドキャリアというところについて話を伺いたいのですが、引退された直後から、山形県内で働かれてたっていうことですが。
越智さん:
最初は酒屋さんですね、地元の。居酒屋じゃなくてお酒を扱う会社で働いていました。
佐藤豪:
卸しみたいな感じなんですかね?
越智さん:
あ、そうです。配達したりもしてましたよ。もちろん、酒屋さんの前掛けをかけて。軽トラックで運転して、後ろにビールビン積んで、個人宅だったり、駅や繁華街のお店にビールを運んだりとかしていましたね。
佐藤豪:
そうだったんですね。それはもうつながりというか、現役時代のつながりの中でお声がけがあってって感じだったんですか。
越智さん:
そうそう。現役の時からこうよく食事に連れてってくれたりとか、酒屋のご主人が、応援してくれてたのもあってご縁をいただいた感じですね。
佐藤豪:
そういった山形県内での人脈やつながりがあった中で、そのご縁から山形で次のキャリアを選ばれたんですね。
越智さん:
そうですね。でもそうなんだけど、正直そんな綺麗な話じゃなくて。
山形の人たちにたくさんお世話になったからっていうよりも、本当に帰る場所が地元にもなかった。っていうのが正直なところでした。
埼玉の、一応エリートで、埼玉で日本代表に一番近い選手みたいな、中学生の時から新聞に載ったりして、埼玉を飛び出して、やっぱり地元ではプロで活躍する選手は越智なんだろうなみたいなことずっと言われ続けてたんですよね。
それで、何の結果も出せなかったっていう思いや状況もあって、今更埼玉に戻って何かしようかっていうのは、もう顔が合わす顔がないって思っていましたね。
身近なところで、セカンドキャリアのお手伝いをしてくれる人がいてくれて、サッカーとは違う世界っていうのを覗いていきたいなっていうのがあって、それには引退した地である山形がよかった、というのが本当のところですかね。
佐藤豪:
そうだったんですね。そういった気持ちを抱えながら、実際にサッカー選手のキャリアを終えて次のキャリアに進んだ中で、現役生活との違いや、一般社会での仕事をする中でのギャップを感じた部分はありました?
越智さん:
んー。セカンドキャリアを歩み始めた時は、ほんともう無我夢中で、何もというか、右も左もわかんない世界に飛び込んで行ったから、社長とか店長じゃなくて、酒屋でも他に現場でも働いている人がもちろんいて、そういった他の従業員からも、最初は僕は教わるしかなかった。だから本当に一からというかゼロからだったので無我夢中でしたね。
セカンドキャリアを歩み始めた最初の方は、エネルギーを使ったのは多分そっちの方だったと思います。知ることから始まるというか。
頭も働かせてましたし、人との関わり方も含め、”俺って何も知らねえんだな” って思いましたね。まあ、ある程度はわかってたんですけど。
辞める時も、サッカーしかやってきてない自分ってやっぱり社会人として、いろんな知らないことがあるんだろうなって思いながらセカンドキャリアを歩み始めたんだけど、やっぱり予想以上だったなって感じはします。
これ、やばいなっていうのと同時に、だからこそ僕は早い段階で自分の中でサッカー選手としてのキャリアに見切りをつけたうえで学んでいこうっていうのも当然意識にはありました。
佐藤豪:
そうだったんですね。
越智さん:
でも、毎日ワクワクしていましたよ。次にどんなことが待っているのかとポジティブに捉えながら、一つ一つの壁を乗り越えていった感じというか。
その後は、地元のFM局から番組を持って喋ってみないかというお話をいただいたりもして、即答でぜひやらせてくださいと言いました。
同時に、モンテディオさんの当時の広報の方からスカパーの解説をやってみないかという話もいただいたんです。
ラジオとスカパーの仕事を両立していく形になっていった中で、スケジュール的に酒屋さんぼほうとの仕事のバランスが難しくなり、相談をさせていただいた上で、仕事を辞めざるを得なくなったんですよね。本当に、感謝の気持ちでいっぱいだったんですが。
佐藤豪:
そういった流れだったんですね。
”話す” ”伝える” ことを仕事にするっていうことも、すごく頭を使う部分もあったんじゃないですか??
越智さん:
ですね。ラジオや解説の仕事自体はもちろん初めての経験で、当たり前だけど、言葉でしっかり伝えることが求められる場でしたから、頭は使いましたね。
ただ、一応僕としては、それまでも言葉を大事にしてきたので、つながる部分はありました。現役時代のインタビューでも、意識的にできるだけ丁寧に答えるっていうことも心がけていたり。
だからかはわからないけど、モンテディオの広報さんからは、インタビューの時の受け答えが印象的だったと言われたんですよね。
佐藤豪
実際に周囲にも越智さんのそういった言葉を大事にするといった部分が伝わっていたんですね。
越智さん
コミュニティFMの社長も、現役時代のインタビューを見たり聞いたりして、喋らせたら面白いかなと思ってくれたそうです。
振り返ると、現役当時のインタビューでは、インタビュアーが求める答えを意識して答えていたんですけど、それが、聞いてくれていた方々の印象に残っていたのかもしれません。そういった印象をもってくれていたことは嬉しかったですよね。
佐藤豪
なんか本当に何がどうつながるかって分からないですね!実際に現役時代の心がけが、次のキャリアでも繋がっていったっていうことなんですね。
インタビューを受ける時のコツみたいなものはあったんですか?
越智さん
コツというか、インタビュアーが求める答えは意識していたかな。
これは良いことと悪いことがあると思うけれど、今もそうですが、インタビュアーの質問から、答えて欲しい方向性を考えすぎてしまうこととかあります(笑)
だから面白い面白くないっていうことではないけれど、答えやすいインタビューだったのかもしれないかな。(笑)
佐藤豪
それが現役時代からの習慣だったんですね。でもインタビュー側からすると、流れも考えていたりするだろうし、そういった選手は助かりますよね。
越智さん
そうですね。今ではこう、経験も重ねさせてもらっているから、あえて逆行しようかなと思うこともありますけどね。(笑)
佐藤豪:
そうなんですね(笑)
サッカー解説やラジオ番組の仕事をされる中で、どんなことを感じたかとか、学んだか、とかはありましたか?
越智さん:
改めて、言葉の重要性を強く感じましたね。僕自身は人にわかりやすく説明することが好きで、評価いただき、だからこそ、今もテレビやラジオの仕事があるんだと思います。
佐藤豪:
ありがとうございます。こう、セカンドキャリアに対してのことなんですけど、サッカー選手って、セカンドキャリアに向けた準備や取り組みをすることが悪に見られたりするときってあると思うんですけど、越智さんてそのあたりどう感じていますか??
越智隼人:
やっぱりやれる時間はあるので。めちゃくちゃ忙しいかって言ったら、やっぱり、プロサッカー選手ってめちゃくちゃ忙しいっていうわけでははないと思うんで。
なので、そこはちゃんと効率よく時間の使い方を組み立てていくことは重要なんじゃないかなと。
なんだろう。むしろそのほうが健康的なんじゃないかなと思うんですよね。
サッカーのチャンネルの時と別のことに取り組む、例えば、資格を取るために勉強する時間なんかがあった方が、なんかこう刺激が自分自身にあって、活性化するんじゃないかなっていうのは今はすごく思う。例えばですけど。
佐藤豪:
ああ、それ当時はどう思ってました?その現役時代の時って。
越智隼人:
いやー、今はこういってるけど、当時もう若い時ってよく寝れるじゃないですか。(笑)そこのその睡眠欲に多分、もう負けてたし。じゃあそれが、トレーニングして、良い食事とって、良い睡眠ってよく言うけど。
ちゃんとそこに質が全部伴ってればいいんだけど、なんかもうサッカー以外に目的がなくて、ただこう部屋でゴロゴロしてるだけっていう感じだった気がするんですよね。それは、健康的ではなかったなっていう。
なんか変な話ですけどね。体鍛えて、トレーニングはしているものの、健康ではなかったなって思うのは。
佐藤豪:
はい。はい。
越智隼人:
やっぱ時間の使い方が上手じゃなかったんだろうなと。
佐藤豪:
思い返すと、周りのチームメイトとか、なんかそういう時間の使い方うまいなっていう選手もいたりしたんですか?当時って。
越智隼人:
いたんだろうけど、そういう人って見せないからね。
佐藤豪:
んー、なるほど。そういうことかあ。
縁がつながりスタートした、サッカークラブ運営
佐藤豪:
今現在のお仕事としては、サッカークラブの運営もされているということで。
越智さん:
はい。
佐藤豪:
そこに至るまでの流れ的にはどんな感じだったんですか?
越智さん:
それもあの、さっきお話してた酒屋で働いてて、そのあとにラジオ、スカパーっていうのが始まって、そんなにこう、そこから時間差もそんなになくて。
僕がモンテディオの寮から当然出なきゃいけないので、次の住まいを探している時にその不動産屋さんから、フットサル教室やってるからちょっと見に行かないみたいにご紹介してもらって。
佐藤豪:
そうだったんですか。それもまたつながりで。
越智さん:
で、その不動産屋さんがそのフットサルコートの土地も管理している不動産屋だったこともあって、フットサル教室の代表の方に僕のことをつないでくれたんですよ。
佐藤豪:
はい。はい。
越智さん:
そしたら、モンテディオ山形で現役を終えたばかりということもあって、来てほしいっていうふうに言ってくれて、あ、じゃあ僕でよければっていう流れになり。
佐藤豪:
なるほど。
越智さん:
そうしたら、まあ瞬く間にこう、山形の地でモンテディオを引退した選手がいるってなったら、やっぱ人数もすごく一瞬で集まったんですよね。
なんか代表が思ってたよりもこう人が集まって、嬉しい悲鳴なんだけど、代表が手に負えなくなったっていうのもあって、そしたらもう越智くんやってよって言ってくれたんですよ。
佐藤豪:
あーそういう流れだ。
越智さん
そう。
佐藤豪:
あれ、もう当時、ライセンスとか持ちながらやってたってことですか?
越智さん
いや、最初はもう全く持ってなくて、じゃあそのクラブの代表にもうなるって言われた時点で、いや、僕ライセンスも持ってないからみたいな話も当然代表としてて。
じゃあもうすぐ取りに行くってなってそこから取りに行くことになりましたね。
佐藤豪:
はいはい。
いや本当に縁というかタイミングとかいろんなものつながって今に至ってるような印象ですね。すごい。
越智さん:
本当にもうやっぱり結局はそうで。今は育成年代への取り組みにすごくやりがいも感じてますよね。
人につないでもらって、今こういった状況になっていて、決して自分でこう何かこう、つかみに行ったっていうのは、なんかほぼなくて、今に至ってるように思いますね。
佐藤豪:
すごいな。でもご縁を引き寄せる何かがあったんだと思います。
山形生活はもう、20年近くになるってことですかね?
越智さん
そうですね。もう一番長いんで、人生の中で。
佐藤豪:
山形、地元って感じですかね??感覚的にはもう。
越智さん
そうですね。そういう感覚は。
それでやっぱどっかで引退した後に、山形の人たちが自分を繋いでくれていることも感じてた中で、20代半ば以降ようやく周りが見えてきた感じが自分ではしてたんだけど。
そのうえで、じゃあ恩返ししていこう!てその時、本当に山形の人たちのために!って思ったんだけど。
佐藤豪:
はい。
越智さん:
思ってやってきたんだけど、今そこから15年16年17年経ったけど。
やっぱり、人に支えてもらってるなっていうのはいまだに変わらないですね。
佐藤豪:
でも最初からそんな風に思ってたんですか?山形でずっとある意味地元になるぐらいに過ごすみたいなことは。
越智さん
んー、絶対的に山形にずっとい続ける人間だとは思っては確かにいなかった、確かに(笑)
佐藤豪:
そんななかで山形に根を張ったと思うのですが、山形の良さとかでなんかパッと出てきたりします。その、人なのか。
越智さん:
まー、まず真っ先に出てくるのは、人がいい。なんかこれ言うのは照れくさいけど。(笑)
水が綺麗だから、そこで育っているものを食べている人たちはやっぱり心が綺麗だし、そういう環境が人の良さにつながっているんだろうなって思います。
この土地の面積にこの人口がちょうどいいからかもしれません。渋滞もなくて快適でなんですよね。焦ることがないので、みんな落ち着いていますよね。
佐藤豪:
あー。人生の豊かさは、自分がどう感じるかにかかっているのかもしれませんね。
越智さん:
そう思いますね。それでいうと山形は僕の波長、自分の歩幅に合っているなと思います。もちろんね、全然共感できないっていう人もいるとは思うんだけれど。(笑)
佐藤豪:
最後ちょっと聞きたいのが、セカンドキャリアとしての夢。っていうか、今やってることのその延長線上にどんなこと描いているかとかって、ありますか?
越智さん:
ああ。そうだなあ。
クラブは本当、今、一つの小さな町クラブであって、規模としても結構全然小さいんだけど、やっぱり長く続けることが大事だと思ってるんですよ。
で、長く続けることができるってことは、地域の人に認められてたりとか。あとは必要とされているからこそ続くと思うので。
やっぱり小さな町クラブであっても、50年、70年、100年続くクラブを作っていきたいなっていうことが、やっぱり一番の目標ですね。
佐藤豪:
その中から、世界に羽ばたく選手も生まれてったりとかっていう絵も??
越智さん:
まあそこは、僕たちはその、Jリーガーとかプロっていうのは第一に考えてなくて、自分のクラブの考え方でいうと、
一番最初に戻るけど、、やっぱり僕自身サッカーが最後の最後で疲れちゃったっていうのはあって、でもサッカーって本来そういうもんじゃないし、
サッカーで疲れたのは多分自分の問題だと思うし、サッカーとの向き合い方が僕自身上手じゃなかった。でもサッカーって楽しいもんだよ、っていうのと、日常をやっぱり明るくするものであるべきだと思うので。
毎日が楽しくなるよっていうことを伝えるのが、僕の中ではもうメインですね。
佐藤豪:
なるほど。
なんか今だと本当にこう、首都圏とか関東近郊だと。例えば本当にドリブルに特化してるとか、ある種、見た目がこうなんていうのかな?わかりやすいものに親御さんってこう。割とパッと。いっちゃう傾向があると思うんですけど。
どっちかというとそういったものよりかも。向き合い方とかあり方とか。そっちの方を大切にされているようなイメージですかね?
越智さん:
そう。だから、僕ら指導者が。提供するものって形のないものだと思ってるから、この形のないものをしっかり人の中に残してあげるっていうのはすごく難しい作業でもあるし。
でもひとたび、我々の伝えたいものが残った時には多分消えないと思うんですよね。消えないし、壊れることはないと思うので。そこは丁寧な作業をしていこうねっていうのを、毎日スタッフと話しているので。
だから今、なんだろう。うちのクラブからこう巣立ってってくれた子たちは、実は山形って高校まででサッカーやめるっていう子が全国でも高いんだけど、やっぱり大学になってもサッカーやってくれる子が多いんですよ。
で、社会人になってもやってくれている子たちが増えているっていうのは本当に小さなことかもしれないけど、成果としては出てるのかなと思うので、これももう地道に続けていきたいないと。
佐藤豪:
素晴らしいです。
越智さん:
だから本当にサッカー自体はどっかで自分たちで結局は上手になっていくと思うから、人としてのその真ん中のところ。しなやかさって言ったらいいのかな?時にこうぶれそうになってもぐっと戻ってこれる。で戻ってきた時にはさらに強くなってる。
そういう一番こう幹の部分を、子供たちと一緒に探していきたいなっていうのはありますね。
佐藤豪:
なるほど。ありがとうございます。経営面も担われてると思うんですが、そのあたりは?
越智さん:
自分はそういうなんだろう。経営能力とかそういうのに長けているわけではなくて、それは今、一緒に会社やってるものがそういう勉強家なのでそいつにある程度任せている部分はあって。
佐藤豪:
なるほど。なるほど。
越智さん
僕は僕で今言ったようなところをクラブとしても軸に置きながらやっていくっていうところを一緒にやっているものも理解してくれて。
ま、そこは役割分担というところではい、やってます。
佐藤豪:
ありがとうございます。
越智さんの大切にされていることが聞けてとても嬉しいです。
第二話では、現役時代のお話を中心に伺えればと思います!!
第2話へ続く(※第二話は10/30公開予定)