INTERVIEW

INTERVIEW
2023.04.07

【第二話】大切にしている自分の軸

幸野 志有人|サッカー選手兼WEBデザイナー兼アパレルブランド創業者

PROFILE

幸野 志有人|サッカー選手兼WEBデザイナー兼アパレルブランド創業者 Shuto_Kohno

東京都江戸川区出身。JFAアカデミー福島の一期生として、16歳でFC東京とプロ契約を結ぶ。以降レンタル移籍で、大分トリニータ、FC町田ゼルビア、V・ファーレン長崎、ジェフユナイテッド千葉、レノファ山口FCでプレー。2017年には完全移籍で長崎へ加入。2019年で契約満了になった後はオーストラリアやドイツ、日本の地域リーグでプレーし、2022年からイギリスへ。サッカー以外にも、アパレルブランドやWEBデザインの仕事を手掛けている。

幸野 志有人|サッカー選手兼WEBデザイナー兼アパレルブランド創業者

PROFILE

幸野 志有人|サッカー選手兼WEBデザイナー兼アパレルブランド創業者 Shuto_Kohno

東京都江戸川区出身。JFAアカデミー福島の一期生として、16歳でFC東京とプロ契約を結ぶ。以降レンタル移籍で、大分トリニータ、FC町田ゼルビア、V・ファーレン長崎、ジェフユナイテッド千葉、レノファ山口FCでプレー。2017年には完全移籍で長崎へ加入。2019年で契約満了になった後はオーストラリアやドイツ、日本の地域リーグでプレーし、2022年からイギリスへ。サッカー以外にも、アパレルブランドやWEBデザインの仕事を手掛けている。

多様性の中で生活するロンドンの魅力

ー英語はいつから勉強していたのですか?

英語は、23歳くらいから英会話教室へ行ってました。選手会の制度を使っていたのですが、週に1回でした。当時は、週に1回でも自分では頑張っていると思っていたんですけど、今考えたら「何言っちゃってるの?」という感じです。本気で勉強し始めたのは、3年前くらい。今では普通に会話できますし、このインタビューを英語でしようと言われても、多分できると思います。

ーそうなると、こっちが分からないので困ります(笑)3年前だと、まだ日本にいたころですよね?

そうですね。オーストラリアに行く前で、行くなら本気で勉強をしようと。(オーストラリアから日本へ)帰ってきてからも、海外へ行きたかったのですが、正直に言うと無理矢理思うようにしていたんですよ。自分の中で、越えないといけない壁だと考えていました。それまでは、海外遠征にもたくさん行っていましたが、海外に住みたいと思ったことはありませんでした。でも、日本でしか生きられない自分というのが、嫌だったんです。いざ日本を出てみると、やっぱりキツイですよ。シドニーのときはもちろん、ドイツでも楽しいというほどではありませんでした。今はロンドンが好きで楽しいですけどね。

ーそれは、英語力が伸びたから楽しくなったのですか?

言葉が通じるからストレスがないというのはありますね。日本と同じ感覚で生活ができています。あとは、文化の違いを毎日感じていて、僕はこちらの文化が好きなんですよ。

ー具体的にはどんなところですか?

完全な多様性の中で、みんなが生きているんです。そもそも人と違うことを前提としているので、どれだけ派手な格好をしていようが、同性愛者のカップルが道端で手をつないでキスをしていようが、誰も気にしない。街を歩いていて、雰囲気から感じられるんですよね。多様性という言葉すら誰も意識していないと思うし、みんなそれぞれ違うことが当たり前だと定着しているんです。あとは、日本にいたときに、「意味わかんないなこれ」と感じたことが、圧倒的に少ないですね。校則やなんとなくで決まっているルールがたくさんあるじゃないですか。でも、(ロンドンだと)なんでそんなことをしなければいけないんだと、みんなが普通に言ってしまうので、淘汰されてなくなっているんです。だから、こっちの方が全然楽で、生きていく上でのストレスがないですね。

ー幸野さんには合っていたのでしょうが、逆の人もいるでしょうね。

もちろんです。自分が合う国は絶対にありますし、別の国が合わなくて「日本が最高」だとなるのもいいんですよ。大事なのは、多様性の中で生きることだと思います。違いに気づいたり、日本の良さにも気付けるので。ビジネスをする上でも、何となくでは伝わらないから、論理的に説明する能力も必要で、宗教上を含めた他者への配慮も求められます。もともと日本での礼儀正しさ、思いやりってなんなんだろうとも考えていました。おもてなしもそうですね。「おもてなしというか、マニュアルでしょ」と。(相手を)考えているわけではなく、マニュアル沿っているだけだと感じていました。ロンドンだと、全てが違うからマニュアルなんてないんです。それぞれが逐一考えて、相手に対してどう話すとかを決めているんですよね。

守りたいものが選択を後押しする

ー先ほど、目を背けてるという話が出てきましたが、その状態が長く続く選手が多いじゃないですか?崖っぷちになるまで。

崖っぷちになるのは悪いことじゃないと思います。崖っぷちになったからこそ続くモチベーションもあるでしょうし。だから、サッカーしかやりたくないと思ってるのであれば、サッカーだけをずっとしていればいいんじゃないかなと。情報を得たりするのは大事ですけど、自分がつまらないことをやらなくてもいいと思います。本当に地位もお金もなくなって崖っぷちになっても、何とでもできますよ。その時に、選択肢を狭めない心の余裕、やりたいことをやってやるという気概があれば、(セカンドキャリアの)準備なんて必要ないかなと思います。

ーなるほど。ただ、そこまでサッカーに振り切れないケースも多いのでは?

だったら、準備しないといけないよという話ですね。

ーしっかりサッカー選手としての対価・報酬を貰っている生活をしていれば問題ないですが、ズルズルと続けているようなパターンもあると思います。

僕が他の人と違ったのが、そもそも生意気だったというのがあります。(サッカー以外の)何かをやってはいけないという発想がなかったんですよ。個人事業主なんだから、誰かに止められる筋合いはないだろうと。やっぱりダメなのかな、クラブによく思われないんじゃないかなと、気にする人もいるでしょうけど、「いや関係ないっしょ」と考えていたので。ストッパー、ブレーキみたいなものがなかったのは、大きかったかもしれないです。もちろん、いい面だけではなくて、バランスを見つけるのは難しいと思います。ただ、それができなくて選手として失敗しても、そこまでだったという話。誰のせいでもなくて、自分で腹をくくれているかどうかは大事ですね。

ー確かにそうですね。自分というものがありますから。

自分があるというほど、悩みがないわけでもないですけどね。どうしようかなという悩みはもちろんあります。でも、「これだけは守りたい」みたいものはあった方が、最終的に選択がしやすいと思います。

ー少なくとも、そういう守りたいものは自覚できていたわけですね?

自覚せざるを得なかったですね。僕には組織、日本の組織の中で生きる上で、欠落してる部分が結構あると感じていました。「絶対おかしいと思うけど、まあそういうものだからしょうがない」ということが、よくあるじゃないですか。社長やクラブの人が言っていることがおかしいと感じても、厄介者だと思われたくないから黙っていようみたいな。それが、僕には無理だったんですよ。何も言わずにスルーすることができませんでした。プロになる前から組織の中で生きていて、絶対に許せないものがたくさんありました。Jリーグのチームにいても、めんどくさい奴だと思われていたはずです。自分ではきちんと考えた上で話していて、それを言ったらどうなるかも分かっていました。その結果、やはり厄介者扱いされるので、(周囲との)違いは気づかざるを得なくて、信念も持たざるを得ない状況でした。

ーそれであれば、組織に属するというよりは個人で生きていけることをしたいと?

そうですね。人に媚びへつらうことが絶対にできない。自分が尊敬したり、この人の下でやりたいというのがなかったら組織でやりたいと思えません。だから、必然的に自分でスキルを身につけるしかなかったですね。