INTERVIEW

INTERVIEW
2023.04.28

【第二話】児童福祉施設でのチャレンジときっかけ

渡部 博文|レノファ山口代表取締役社長

PROFILE

渡部 博文|レノファ山口代表取締役社長 hirofumi_watanabe

山形県長井市出身。株式会社レノファ山口代表取締役社長、株式会社ESPORTES代表取締役社長。柏レイソル、栃木S C、ベガルタ仙台、ヴィッセル神戸、レノファ山口FCにて合計13年Jリーガーとしてキャリアを積んだ。引退後すぐにクラブ代表に就任するという異例のキャリアを歩んでいる。

渡部 博文|レノファ山口代表取締役社長

PROFILE

渡部 博文|レノファ山口代表取締役社長 hirofumi_watanabe

山形県長井市出身。株式会社レノファ山口代表取締役社長、株式会社ESPORTES代表取締役社長。柏レイソル、栃木S C、ベガルタ仙台、ヴィッセル神戸、レノファ山口FCにて合計13年Jリーガーとしてキャリアを積んだ。引退後すぐにクラブ代表に就任するという異例のキャリアを歩んでいる。

「経験×既存事業への疑問」から介護事業を展開

ークラブの代表のオファーがなかった場合は他にどのような選択肢を考えていましたか?

山口県で始めた児童福祉施設を、どう全国に展開していこうかっていうことを考えていました。元々は神戸でやろうかなって考えていたんだけど、神戸の施設を調べてみたら難しいことが分かりました。


けど事業モデル自体は理解していて、もし次の移籍先で需要があったらやろうと。それでレノファ山口に移籍した時にまずは児童福祉施設の需要がある場所を探しました。自分のやりたいことをやるよりも、需要があるところに施設を出す方が失敗しない確率は高いので、エリア選定に時間をかけましたね。

その際に山口県の中でも特に防府市に需要があると確信し開設することにしました。初めは1人で物件探しや求人広告を出し、対面やオンラインの面接などをしながら仲間を集めなんとか施設をつくった感じです。

ー需要がある場所で事業を始めるのはとても大事ですよね。ちなみになんで児童福祉施設をやろうと思ったのですか?

そもそも福祉の世界ってすごく狭いんですよ。国に守られているんだけど、すごく縛られている世界だなと思っていて。

国の条件で、例えば絶対に建物が必要でこのぐらいの範囲でしかできませんとか、こういった条件じゃないとできませんとか、必ず資格者が要りますとか。こんなに自由を求めている世界なのに、福祉や障がいの分野ってもっともっと自由を求めている世界なのに、なんでこんな自由じゃないんだろうって思ったんです。

だからその時に自分で出そうと思っていた施設が、運動療育、コーチング、脳科学という3つのコンセプトで打ち出す内容でした。自分自身が運動療育やコーチングを5年間やってきた経験があり、その分野にも精通していたことが大きかったと思います。
また、いろいろな施設を見学にいくと、縄跳びが1回もできない子や、低い段の跳び箱が飛べない、走り方がぎこちなかったり、運動自体が苦手だったり嫌いっていう子供がすごく多くて。

で、ここにもすごく疑問を感じて、「そもそもみんな小さい頃に運動が嫌いとか苦手とかって、何かのコンプレックスがあるからなるものなんだけど、この子たちの特性を理解して、さらに運動を楽しめる環境を大人が用意できたら変わるのでは?」と感じて。
自分たちが楽しめる環境や、やってみたいと思えるような環境を作ったら、これって夢中になれることだし、サッカーに限らず、スポーツや運動という枠で子どもたちが楽しめる環境を作れるんじゃないかなと思いました。

障がいは全然関係なくて、たとえば目の前にあるサッカーボールを目の前のゴールに入れることでもいい。その子にとってそれがゴールだったらそれも認めてあげる。要は1人1人の自己存在感を大切にしていく環境がつくれたらなと思いました。生活のなかでこうしなきゃ駄目とか、こうすべきっていうのを出来るだけ排除したい想いもあります。そしたらもっと自由で生きやすい世界が作れて、新しい居場所ができるのではないかと考えています。

ーレノファの選手が行くことで、子供たちは運動するのが楽しくなったみたいなコメントをもらったというのを拝見したのですが、やっぱりサッカー選手だからこそできるサポート、児童福祉施設への取り組みっていうのもあるのでしょうか?

そうですね。それは強く感じました。そもそもサッカー選手は午前練習が多いため、午後時間がある。今自分がやっている事業は放課後デイサービスなので午後学校が終わってから通う場所です。これはマッチングするなと。去年は引退した選手も含めて4人、うちの事業所に遊びに来てもらいました。あとは子供たちを試合に招待したら、どんな化学反応が起きるかなと前々から思ってて、去年実施してみたら、うちの事業所内でもおもしろいムーブメントが起きました。

招待しているのでこちら主導の部分は多くあるけど、結果レノファの試合観戦行ったら「めっちゃ楽しかった!」と言ってもらえて。そこからそれぞれで推しの選手ができたり、何ならレノファが嫌い、違うチームが好きだとか、事業所内でも熱狂する子たちが増えた。そこから各家庭や事業所内でもレノファやサッカーに関する会話が生まれました。これは事例として面白いなと。サッカーは、認知→興味→きっかけ→スタジアムへというストーリーがあるとしたら、この「きっかけ」作りを自分はしているのかなと思います。この取り組みを他の場所でも作りたいなと考えていて、今はもう1店舗作ることを検討しています。

若手の行動をきっかけに考え方が変わった

ー児童福祉施設の話を聞かせてもらったのですが、いつからサッカー以外のところに目を向けるようになったんですか?

結婚した1年目ですね。仙台に行った1年目ぐらい、27歳ぐらいの時だったと思うんですが、今のままじゃヤバいなって。その時代はセカンドキャリアっていう言葉はあまり聞かなかったのかなと思うんだけど、今のままサッカー選手を辞めたら、どうなるんだみたいな。どこで働けんの?何もできないことにこのままじゃやばいなと思って。で、色んな業界の人と会ったりとか、勉強したりとかっていうのをするようにな李ましたね。

ーなぜそこでやばいなって気付いて行動に移せたのですか?現状仕事はあるわけで。何か行動を起こせる選手って少ないのかなって思っていて、何かきっかけみたいなのがあったりしたんですか?

きっかけは、若い選手で1,000万円もらっている選手が1,000万の車を買っている時にやばいなと思いました。このローンで払えるっていう悪魔のささやきは、これは麻薬的なものがあるんじゃないかと思って調べていたら、自分の知らないお金に関することってたくさんあるんだなと思って。サッカー選手は所得が高いからその分節税しなきゃいけないよねとか、保険で控除を作った方がいいよねとか色々あるけど、なんやかんやお金の知識がないことで吸い取られていることがいっぱいあるんじゃないかと思って。っていうのに気付き始めてからですね。

それこそ自分の家計簿というか数字を見直したりとか、今後どうしていきたいのかっていうの考えるようになってから危機感を感じ始めましたね。