INTERVIEW
【第一話】現役時代に負けない充実感を得るためにはラーメンしかなかった
PROFILE
盛田 剛平|盛田軒 もりけん ~もりたラーメン研究所~ kouhei_morita
愛知県名古屋市出身。浦和レッドダイヤモンズでプロキャリアをスタートし、7チーム、合計19年ものキャリアを積み重ねた。引退後は浦和レッズのハートフルクラブにてコーチを務めていたが、兼ねてより公言していたラーメン屋さんを2023年にオープン。コーチ兼ラーメン屋オーナーという二足の草鞋を履き、異色のキャリアにチャレンジしている。
PROFILE
盛田 剛平|盛田軒 もりけん ~もりたラーメン研究所~ kouhei_morita
愛知県名古屋市出身。浦和レッドダイヤモンズでプロキャリアをスタートし、7チーム、合計19年ものキャリアを積み重ねた。引退後は浦和レッズのハートフルクラブにてコーチを務めていたが、兼ねてより公言していたラーメン屋さんを2023年にオープン。コーチ兼ラーメン屋オーナーという二足の草鞋を履き、異色のキャリアにチャレンジしている。
今はまだ不安しかない
ーまずはオープンおめでとうございます。
ありがとうございます。
ーオープンこぎつけた心境はいかがですか?
本当に(店を)やるんだという実感がまだなくて、今でも不安だらけですね(インタビューはオープン前に実施)。
ー喜びについてはいかがでしょうか?
Bお店をやるにあたって、一番の喜びだと言える瞬間はまだないです。ただ、クラウドファンディングで、たくさん支援があったことはすごくうれしかったですね。
ー不安はどんな所に感じているのでしょうか?
まずはお金がたくさんかかっていること。今はまだオープン前なので収入もなく、本当にやってけるのかなという不安がすごくあります。
クラウドファンディングの意義
ーただ、クラウドファンディングで500万円以上集められていて、それは現役自体の取り組みやプレーへの評価だったと思います。クラウドファンディングを行った経緯と、その過程で見えてきたものを伺えますか?
自分の中でクラウドファンディングは、有名な人が行う反則技みたいなイメージがあって、それはダメだろうと思っていたんです。でも、経験した人に聞くと、想像以上に応援してくれる人が一杯いるから、「絶対やった方がいい」と言われました。あとは、もし目標金額を達成しなくても、お金をかけずに宣伝することにつながるからとアドバイスももらったんです。
ーイメージは悪かったですか?
悪いというか…。 あとは集まらなかったらショックだろうなというのはありました。ただ、やると決めたら、(支援者を)集めないといけない。だから、支援や拡散を人へお願いしたりして頑張りました。本当に資金に余裕もなかったですし。
ー初期投資金額は、予想以上でしたか?
お金はかかりますね。自分が「これぐらいでできるだろう」と思っていた予想の倍はかかっています。そういうところは、本当に無知だったなと感じますね。
ーお金をかけようと思えば、いくらでもかかってきてしまいますよね。
そうですね。こだわりのラーメンと言っても、やっぱり売上も計算しないといけないし、いい素材ばっかり使って、うまいラーメン作っても…。原価率の計算も自分の中ではっきりと見えていなかったですからね。
ー現役のときもコラボなどはやられていたと思うのですが、経営となると難しい部分がたくさん出てくるということですか?
まだわかってない部分はありますけど、「光熱費を含めて、これだけかかるんだ」というのは、やってみないと分からない。今は光熱費も小麦も高い状況で、逆に言えばここできちんと(経営を)できれば、絶対に先々楽になるだろうし、しっかりと経営の仕方を考えていきたいと思っています。
引退後の人生を楽しむために
ー引退から時間が経ち、オープンがこのタイミングだった理由についてはいかがでしょうか?
19年間、現役を過ごしていて、週末に試合があり、そのメンバーに入るか、入らないか。そういう日々は、刺激と緊張感がありました。指導者も緊張感はあるのですが、良くも悪くも慣れがあるので、本当にドキドキするような状況、場がなくなってきているなと感じていました。
引退して、もしドキドキするなにかがあるとすれば、育成でも勝負にこだわっているところだと思うんです。
ただ、自分はスクールのコーチで、勝ち負けを重視していない。子どもが成長した姿を見られたらすごくうれしいのですが、自分の中でのチャレンジがなかなかできない面がありました。
そこで45歳になり、この先の人生をどう送っていくのかを考えたとき、「現役時代は楽しかったな」、「あの頃は良かったな」と思って余生を過ごすには長過ぎる。そんな人生は少し寂しいなと思いました。
自分はラーメンが好きで、ずっとそれを言い続けてきましたから、ここでラーメン屋をやらなかったら、死ぬときに後悔するなと。現役時代、何千万円と稼いでいるチームメートを見ていて、「ちくしょう」と思いながら、「絶対に引退したら、こいつらより稼いでやる」という気持ちもあり、それを叶えるものは、ラーメンしかなかったんです。
サッカーの監督をすることも頭にないので、充実して楽しめることを考えたら、ラーメン屋をやるしかありませんでした。
ー緊張感を味わいたいという話があった中で、監督を目指さないのはなぜですか?
向いてないと思ったんです。全然向いていない。(出身校の)桐蔭学園には戸田和幸、森岡隆三、米山篤志とか、同年代に賢い人がたくさんいるじゃないですか?名だたる人がいて、自分は違うなと。そこで輝く必要はないし、人に教えられるようなサッカーの哲学というのが確立されなかったんですよね。
往復1万円をかけてラーメンを食べに行く
ーでは、そもそもラーメンにのめり込むきっかけは、どんなものだったのでしょうか?
ラーメンって、本当にいろんなものがあり、そこに興味をかき立てられたんです。たとえば、自分の地元の名古屋にはスガキヤラーメンというチェーンがあって、他にも全国にご当地ラーメンがあり、面白いなと。しかも、それを1000円以内で食べられるのは最高だなと思ったんです。大学に入ってからは、色んな場所へ行く機会も増え、各地でラーメンを食べ始めました。
ーその前は食べてたけど、のめり込むほどではなかった?
そうですね。桐蔭学園は寮生活だったので学校の敷地内、周辺ですべてが完結するような感じでした。
ーサッカー選手だと、ラーメンを控える人も多いですが、その辺りはいかがでしたか?
別に気にしていなかったですね。それで、ずっとプロとしてやってきたわけだから。飲んだ後にラーメンを食べるイメージもあるでしょうが、自分は酒を飲まないので。
ー(食事が決まっている)遠征先でも食べていたと伺いました。
(宿泊先の食事会場で)「あ、今日は炭水化物が少ないから行くな」と、チームメートが見に来ていました。今だから言えますが、行っていたのは(1日に)1件だけじゃないですからね。
ー遠征先で一番印象に残っていることはありますか?
印象的というか馬鹿だなと思ったのは、広島時代に試合が終わったら(宿泊先の)羽田に戻るんです。そこからタクシーで往復1万円かけて、ラーメン一杯を食べに行ったことはあります。ちょうど環七のラーメンが有名なときで、「行きたい」と思って。
ーホテルを抜け出して大丈夫だったのですか?
チームにもよりますが、試合の後は大丈夫ですね。酒を飲んで悪いことをするわけでもないですからね。
鈴木メモ
第一話では、盛田さんのラーメン屋をオープンするに至った経緯や苦労、ラーメンにまつわるエピソードを書きました。第二話では19年ものプロキャリアを歩めた理由について伺いました。ぜひ、第二話もご覧ください。