INTERVIEW

INTERVIEW
2023.05.07

【第二話】長くキャリアを歩む秘訣は、自分を知り、必要とされる場所を見つけること

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PROFILE

盛田 剛平|盛田軒 もりけん ~もりたラーメン研究所~ kouhei_morita

愛知県名古屋市出身。浦和レッドダイヤモンズでプロキャリアをスタートし、7チーム、合計19年ものキャリアを積み重ねた。引退後は浦和レッズのハートフルクラブにてコーチを務めていたが、兼ねてより公言していたラーメン屋さんを2023年にオープン。コーチ兼ラーメン屋オーナーという二足の草鞋を履き、異色のキャリアにチャレンジしている。

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盛田 剛平|盛田軒 もりけん ~もりたラーメン研究所~ kouhei_morita

愛知県名古屋市出身。浦和レッドダイヤモンズでプロキャリアをスタートし、7チーム、合計19年ものキャリアを積み重ねた。引退後は浦和レッズのハートフルクラブにてコーチを務めていたが、兼ねてより公言していたラーメン屋さんを2023年にオープン。コーチ兼ラーメン屋オーナーという二足の草鞋を履き、異色のキャリアにチャレンジしている。

サッカーを続けていくために

ープロで19年。かなり長くプレーされていた中で、サッカー選手としての生き方はどのように考えていましたか?

自分は隙間産業なんです。どこが空いているのかを考え、隙間に入り込んでいく。あとは、ポジションや使われ方もなにが求められているのかをすごく考えます。ドリブルで何人も抜くことは絶対に求められてないし、自分をしっかりと知った上で、時間や試合状況によって、何のために投入されたのかを理解し、試合に臨んでいました。

ーもともと大学屈指のFWとしてプロに入り、そこから隙間産業に行くというのは、大きな転換だと思うのですが?

ずっとFWでしたが、(プロに入り)これで生きていけないなと思いました。それに加えて、この世界にいたい、1年でも長くサッカー選手でいたいと考えたとき、足元もそこまで器用ではなく、ヘディングの強さを活かすなら、守備であればできるだろうと。

ーそう思ったのはいつ頃ですか?

広島へ移籍して、始めは試合に出ていたのですが、徐々に出られなくなったときですね。もう来年はないだろう、クビだろうなと思っていて、練習後に右足でクリアをする練習とかをするようになりました。そうしたら契約を更新してもらえ、ポジション変更もありうると(クラブから)提案されたんです。自分も同じ気持ちだったので「やってみたいです」と伝え、そのシーズンの残りはDFの練習に参加しました。逆に言えば、FWで契約を伝えられたら、心境は違っただろうなと思います。

ーそんなにガラッと変わっていかがでしたか?

脳がFWだったので、まったくうまくいかなかったです。ボールが自分の後ろへ行ったら、もう追わなくていいという感覚になっている。でも、実際にはGKやこぼれたボールに詰めていくFWがいる。体もすぐに反応しないので、それで失点することもありました。でも、考えてみれば当然なんです。ディフェンスについては1年生なんだと開き直って、大学や高校の新卒DFや日本代表だった小村(徳男)さんとか、色んな人に質問しながらプレーしていました。

ー子どもの頃から憧れたプロに入ったら、やはり長く続けたいと思うのは当然ですよね。

「引退して、この世界からいなくなったらどうするんだ」と自分に問いかけたとき、嫌だと思ったんですよね。情熱がなければ他に行けばいいけど、そうではなかったので。言ってしまえば、毎日好きなサッカーをしてお金をもらって生活をしているというのは、ラクをして儲けているわけではないけど、素晴らしい環境にはいるわけです。やれるのであればやりたいと思いました。

1年1年が勝負

ーサッカーを辞めた後のことは、意識していましたか?

意識してなかったです。「辞めたくない」と思うだけで、あまり考えていなかったです。

ーでは、最終的な引退のきっかけはなんだったのでしょうか?

本当は続けたかったんです。そのときは指導者のオファーと、Jではなくプレーを続けるオファーがありました。引退して指導者になった方が給料が高いという状況で、(金銭面の)バランスがそうなったしまったら、家族にも迷惑をかけるし、プロとしてはもうあきらめないといけないと思いました。

ー長いスパンで引退を意識するというより、いきなり現実を突きつけられたイメージですか?

毎年「(今年が)最後かもな」とずっと思っていました。複数年契約はほとんどしていなくて、毎年、1年1年を勝負してきたので。年末になるといつもシビアで、甲府でも一回クビになって再契約しています。でも、それもしょうがないかなと思ってやってきましたからね。

サッカー選手×ラーメン=盛田というブランディング

ー2006年に、Jリーグのキャリアサポートセンターのインターンで、ラーメン屋さんに行かれてると思うのですが、それは将来を意識してのことですか?

ラーメンが好きでも、どうやって作られているかは全然知らなかったので、見てみたいと思ったんです。他の選択肢には関心がなくて、本当に興味本意でしたね。飲食にも興味があって、その後はお好み焼き屋にも行きました。

ー引退した後の道については、なにか考えていましたか?

(サッカー選手は)すごく時間があるのですが、おぼろげに考えてるぐらいで、動いたことはなかったです。ただ、ラーメンを食べているという発信は異様にしていました。

ーサッカー選手でラーメンと言えば盛田さんというイメージが定着しました。

そこまで持っていけたことは勝ちですよね。サッカーでは、上のカテゴリーが注目されるので、そこにもう一つ自分の色を発信するのは、いいんじゃないかと思います。

ー現役中にサッカー以外の事業などに取り組む人もいる一方、競技に集中するべきだという意見も寄せられますよね。

サッカー選手の間は、本当にたくさん時間があるから、それを有効に使うのが大事。ずっとサッカーのことを考えるというのは、違うかなと思いますね。自分はサッカーと切り離す時間を持って、オフは遊んだりしていました。だからこそ、長くプレーを続けられたとも思っています。逆にずっとサッカーという選手もいますが、自分が(オンオフの)切り替えをせずにいれば日本代表になれたかというと違うでしょうね。

鈴木メモ
ご自身のことを隙間産業で生き残ったと話す盛田さん。それを実行することができた身体能力、技術、思考能力。体と頭を常にフル回転さえ続けていたからこそ、19年という期間、Jリーガーとしてのキャリアを歩めたのだろうなと感じています。第三話では、今後の目標と現役Jリーガーの方へのコメントいただいています。ぜひご覧ください。