INTERVIEW

INTERVIEW
2023.08.17

【第二話】“好き”という想いが自分を支える原動力になる

鈴木 雄太|モンテディオ山形強化部

PROFILE

鈴木 雄太|モンテディオ山形強化部 yuta_suzuki

神奈川県横浜市出身。向上高校卒業後、2006年にモンテディオ山形へ加入。7年間在籍し、2013年から湘南ベルマーレへ。その後、ザスパクサツ群馬を経て2017年に引退し、山形の強化部スタッフに就任した。公式戦出場は群馬時代の天皇杯1試合のみであるものの、12年にわたりプロ生活を継続するという稀有なキャリアを持つ。

鈴木 雄太|モンテディオ山形強化部

PROFILE

鈴木 雄太|モンテディオ山形強化部 yuta_suzuki

神奈川県横浜市出身。向上高校卒業後、2006年にモンテディオ山形へ加入。7年間在籍し、2013年から湘南ベルマーレへ。その後、ザスパクサツ群馬を経て2017年に引退し、山形の強化部スタッフに就任した。公式戦出場は群馬時代の天皇杯1試合のみであるものの、12年にわたりプロ生活を継続するという稀有なキャリアを持つ。

企業への就職も視野に入れキャリアを模索

―試合に出ていないのに、契約を続けられている状況をどう捉えていましたか?

単純に僕は山形が好きだったんです。最初から好きだったわけではなくて、毎年(契約を)更新しながら、地域の色んな人と仲良くなることが多くて、出るんだったらここで試合に出たいと思っていたんです。ただ、7年でやっと気づいて、外へ出てチャレンジしようと。気づくのが遅かったですが、そこに対して後悔はしてないんですよね。「ここでやりたい」という場所を見つけることができたからこそ、苦しいことでも頑張れた気がしています。

―不安定な中で、引退した後についての意識が芽生えたのはいつ頃ですか?

2017年、ラストの1年間はすごく考えました。ザスパを切られたら先はないだろうな、地域リーグなんじゃないか、家族のためにお金も稼がないといけない…。でも、セカンドキャリアについて本当にちゃんと考え始めたのは、契約満了を告げられてトライアウトを受ける前の12月の1ヵ月間くらいでした。

―どんなことを考えたのですか?

僕は高卒でバイトをしたこともなくて、社会人経験は全くありません。今も強化部に入れたからバイトをせずに来られていますけど。一般常識が全くない状態で12年間過ごしていました。だから、最初に「就職してみたいな」と思ったんです。年末年始に履歴書や面接の準備をしようと考えていて、同時に今までお世話になったクラブに、フロント、アカデミーでも何でもいいから「やることないですか?」と話はしていました。

―引退の決断はどのタイミングで?

ギリギリ、年を越すまでは現役を続けるために考えようと思いました。サッカー選手は契約が1月31日までで、1月の25、26日の辺りまでは、選手としてのお金がもらえるので、1月中はもがけるなと思ったんですよ。1月中に方向を決め、2月から働ければ、お金には困らないなと。だから、まずは12月を頑張ってみようと言いながら、次のキャリアを考え始めました。

カテゴリーを下げる気はなかった

―地域リーグなどは選択肢に入れなかった

そうですね。なんか線を引かないとずるずる行くなっていう気がしてしまって。色んな人に「やった方が良い」、「J3、地域でも、公式戦に年間を通して出ないと価値なんか高まんねえぞ」と言われたんですよ。でも、人に言われても響かなくて、自分の感情の思うままに行動した方が後悔しないと思い線を引きました。

―プロに入った当時にはなかったJ3もできて、裾野は広がっていたもののカテゴリーは下げたくなかったと

今地域リーグでプレーしている選手、仕事をしながらサッカーをしてる選手は、絶対に僕なんかよりはるかにサッカーが大好きなんですよ。僕は(皆さんと比べると)「そこまでサッカー好きじゃないのかな」と思ったんです。家族を説得してでも、サッカーをやりたい気持ちにならなかったということは、自分が思ってる以上にサッカーを好きじゃないんだなっていうのは感じたんです。

―若手時代のサッカーが好きだという想いがすり減っていたということですか?

楽しいことを仕事にできているから幸せだと思うようにしていたんでしょうね。思うようにしすぎて、楽しくなくなっていた時期はたくさんありました。プレゼントいただいたり、サインを書いたり写真を撮ったり、Jリーガーだからチヤホヤされているけど、試合に出ていない選手より、出ている選手の方が評価される世界なので。群馬にいた期間で、「サッカー選手というものが剥がれたら、俺に何が残るんだろう」思ったんです。

職種ではなく、山形という場所を選んだ

―そこからどのように山形に入ることになったのですか?

一般企業を受けようかと考えている時、タイミング良く湘南ベルマーレのジュニアユースのキーパーコーチのお話をいただきました。僕はライセンスをC級まで取っていて、B級も受講し続けていれば、B級ライセンスを持ったキーパーコーチとして働ける。奥さんも僕も地元が神奈川で、地元でセカンドキャリアを始められると考えたところ、年明けに山形から強化部として働かないか?というお話をいただきました。事前に「何でもいいから山形でやりたい」、「山形に戻って恩返しがしたい」という気持ちは、当時のGMや元マネージャーの方に伝えていて、社内で検討してくれたらしくて。年明けの1月9日だったと思うのですが、その時に家族に山形から話があったと伝えたら、職種も何も言っていないのに、「山形にはいくら引っ越し代がかかるかな?」と話し出したんです。要するに、家族揃って山形が好き。今までは好きなスポーツ、サッカーを仕事に過ごすことができた。セカンドキャリアを決める際、僕は好きな場所か、好きな仕事(興味のある仕事)のどちらかは絶対持っておくべきだと思うんです。でないと苦しいことも耐えられない。僕は今強化という新しい世界に飛び込んで、適任かどうかはわからないですけど、山形のため(に働くこと)、地域が大好きということが、頑張るきっかけの一つになっています。

―選手が終わった後の人生の方が長い中で、ずっとサッカーに関わり続けたい選手も多いと思いますが、その他の選択肢を含め、実際にどのくらいキャリアを描けていると感じますか?

今はこの仕事ができていて良いなと感じる反面、その気持ちは後付けだと思うんですよね。 本当に自分がやりたいことを模索できたかって言われると、まだまだできてないような気がしています。強化という立場にいますけど、山形のフロントの中には色んな仕事があるから、色んなことに興味があるんですよ。でも、その世界を知らないから、経験してみたいという興味が湧いているんだと思っています。最近は選手でも、積極的に自分で事業、サッカースクールを立ち上げたり、地域のために行動している人が増えてきたじゃないですか。それを選手の間に考えられるのはすごいなと思っていて、自分も現役時代の空いてる時間にもっとやるべきだったなと、今になって後悔してるところではあります。

―外の世界とのつながりについて、山形の選手はいかがですか?

若い選手はそこまで興味を持っていないですね。ストイックに午後もトレーニングしたり、あとはリラックスの方法も、温泉や食事、釣りとかリフレッシュできる楽しみ方です。山形の自然を楽しんでもらって山形を好きになってもらうことは全然良いんですよ。若い選手は、まだまだ頭も若くて、サッカーをストイックにやる時期があってもいいのかなと思います。僕もセカンドキャリアを考えすぎると、選手寿命が縮まるんじゃないかと考えていましたからね。

―ちょっと余裕が出てきてから、考え始めるイメージですかね?

あとは、そういった余裕や経験を後輩に伝えることが、ベテラン選手の価値を高めたり、ベテラン選手と言われるきっかけになると思うんですよ。強化部にいて、その選手を雇用するとか、残したらチームのためになるんじゃないかと考える時に、その辺りは大事にしています。(現役時代に)メンバー外をずっと見ていたからこそ、サッカーをストイックにやれて、色んなことを語れる人がいてくれると、安心するんですよね。チームを底上げしてくれるというか。ピッチに立つ11人だけが偉いわけじゃなくて、サポートする選手たち、底上げしてくれる選手達がいて、チームは成り立っていると思うので。そういうベテランの選手がいてくれると心強いです。