INTERVIEW
『”ありたい姿”で生きていく』西田剛の、生き方。vol.1
PROFILE
西田剛|株式会社SASAERU代表取締役 GO_NISHIDA
西田 剛(にしだ・ ごう)1986年鹿児島県出身。阪南大学より、2009年に横浜FCに入団。その活躍が認められ、2012年からアビスパ福岡に完全移籍し2013年シーズンまでプレー。 翌シーズン、愛媛FCへ移籍後は、キャプテン、副キャプテンを務めチームに貢献。その後2021年シーズンをもって愛媛FCを退団し、2022年1月14日、現役引退を発表。ポジションはフォワード。 現在は愛媛、そして地元の鹿児島を舞台に活動。
PROFILE
西田剛|株式会社SASAERU代表取締役 GO_NISHIDA
西田 剛(にしだ・ ごう)1986年鹿児島県出身。阪南大学より、2009年に横浜FCに入団。その活躍が認められ、2012年からアビスパ福岡に完全移籍し2013年シーズンまでプレー。 翌シーズン、愛媛FCへ移籍後は、キャプテン、副キャプテンを務めチームに貢献。その後2021年シーズンをもって愛媛FCを退団し、2022年1月14日、現役引退を発表。ポジションはフォワード。 現在は愛媛、そして地元の鹿児島を舞台に活動。
【はじめに】
今回インタビューを受けてくれたのは、西田剛さん。大学サッカー界の名門、阪南大学を卒業後、横浜FC、アビスパ福岡、愛媛FCでプレー。
アスリートのセカンドキャリアというと、その競技での特性を生かして、コーチであったり教員であったりに進む人も多くいる。そういったなか剛さんは、力強く『様々なことに挑戦したい。自分の可能性を広げたい!』と爽やかに言ってのける真っすぐさがあった。
すでにある箱に、自分を寄せていくのではなく、自分はこう生きていきたい!こういう人でありたい!その『ありたい!』のエネルギーが抜群に強い人。そんな印象を受けた。
自分が寄せていくのではなく、自分に状況を引き寄せていく、そして構築していく。そういった”見えない力”がある人だと感じた。
リーダー気質であり、アーティスト気質である。
そういった剛さんだからこそ、インタビューは知らぬ間に、剛さんペースで進んでいくのであった。
インタビュー:鈴木崇文・GO
話者:西田剛さん
編集:GO
第一話
【引退までの知られざる葛藤】
~サッカーを通して形成された、
”西田剛” という男の人間性~
順序だてて聞いていこうと思った矢先、ひょんな会話から、引退に至った経緯を赤裸々に語ってくれた剛さん。
GO:
僕自身ベガルタ仙台ユース出身なんですけど、先輩で阪南大学に進学した人がいて、、剛さんの事だと思うんですけど、すごい選手がいるって言ってたんですよね!鹿児島から来た選手でって。
剛さん:
・・・・・・。ベガルタから来てた子、おったかもな。。
GO:
覚えてらっしゃらないですかね(笑)
剛さん:
いや、崇文は分かると思うんだけど、俺ずっとヘディングをめちゃくちゃやりまくってて、、記憶が、、笑
というより、本当にそういったことが引退の引き金にはなってるんだけど、、
崇文:
え、そうなんですか?
剛さん:
そうそう。そうなんよ。
それで、今YOUTUBERとしても活動されてる那須さんも近しい症状だったと思うんだけど、目の見え方が、ちょっと左右の目で違和感が大きくなっていって。すごくストレスになっていったんですよね。それが実は、引退に向けては大きな原因になっていて。
GO:
そうなるきっかけとかは。。。
剛さん:
最初は脳震盪がきっかけで、そこから2~3年くらい。診断で視神経の麻痺が起こってって感じで、目の筋肉って6つあるんだけど、それの影響で上斜筋の左右誤差で周囲が2重に見えるような感じ。
で、そうすると、脳みそは見えにくい中でも、『見よう!見よう!』とするから、どんどん姿勢が前傾になっていって、身体をしっかり張ってプレーするタイプなのに、姿勢が悪くなってくるもんだから、こてって、簡単にころんじゃったりして、いやー、本当にきつかったよ。自分でも、え?って感じで、トラップミスもしちゃうし。
で、手術をしたりしながら、半年~1年スパンで回復に務めるんだけど、なかなかうまくいかなくて。それで、愛媛FCと次の年の契約を更新しない流れになってたんだけど、引退する年の11月にすごいお医者さんをみつけたの。東京の。
もう行ったろうと思って!もしここで回復したら、まだ現役を続けようかなって思ってたんですよね。
(肉体を限界まで酷使するアスリートゆえの葛藤。改めて、Jリーガーであり続ける難しさとすさまじさを感じた)
ただ、精神もすり減る状態で続けていたから、トライアウトを受けるとかではなくで、地元の鹿児島ユナイテッドのみ、地元でもあるし、応援してくれていた親や関係してくれてる人も喜んでくれるっていうモチベーションを持てたから、続けるならユナイテッド一本で!ていう考えで、治療に臨んで。。
で、いい感じに回復していったから、いったん引退でなく、愛媛FCを退団という形にして、鹿児島ユナイテッドにアプローチをしていったんです。
ただ、そこまでの数年の自分自身のパフォーマンスも良いものではなかったり、クラブ側もそこまで潤沢な経営状況でもない側面もある中で、話としてはうまくまとまらずに、最終的には、”引退”っていう形で発表する流れになったっていう感じかな。
そう、ここまでが引退までの流れって感じですかね。
何気ない会話から一気に、引退までのプロセスを話してくれた剛さん。ZOOM越しにも伝わってくるその ”陽”のエネルギー。
しかしながら、TOPアスリート同士がしのぎを削りあうJリーグという舞台において、多くの悩み、葛藤がありながらプレーしていたことも同時に伝わってきた。
まさに、”命を削る”仕事なのかもしれない。
ここからは、プロサッカー選手を通じて経験してきたこと、今に生きていることについて聞いてみた。
崇文:
様々な経験をしてきている中で、現役中の経験が、今に生きていることってありますか??
剛さん:
それは本当にね、あると思う。
2015年シーズンかな?愛媛FCがプレーオフまでいったシーズンがあったんやけど、そこで初めてキャプテンをさせてもらったんです。
ただ、その前のシーズンで、クラブ自体がいろいろあり、シーズン終了後、スポンサーやサポーターからも厳しい目を向けられるっていう時期があって。
そんな状況の中で、現場から盛り上げていってほしいということもあったんだろうけど、当時監督の木山さん(現:ファジアーノ岡山監督)との中で、剛の明るさで周りを盛り上げながら、、現場からやっていこう!ということで、キャプテンになったんですね。
小中高大学とキャプテンをやった経験はあったんだけど、まさかプロになってからやるなんて思っていなくて、、しかも俺の印象だと、フォワードでキャプテンってなかなか難しい気もしていたんですよ。流動性の高いポジションだし、出れない時期もより出てくる。
でもそんな時でも、自分だけにフォーカスっていうわけにもいかないですからね!
なので実際は『お、俺かよ?!』が正直な感想だったんだけど。(笑)
崇文:
当時まだ30歳になってないくらいですよね?
剛さん:
そうそう。当時、29歳の年かな。年上のベテラン選手もいて正直不安もあったけど、試合を重ねるごとにチームの成長をすごく感じましたね。結果プレーオフまで行きましたし。
良くないときに、周りじゃなくて自分に矢印を向けられる選手が多かった。そういうチームはやっぱり強いと思う。あの経験っていうのは、すごい特別なものですね。
GO:
そういった中で、キャプテンとしての取り組みで、チームに良い影響与えるうえで意識していたことって何ですか?
剛さん:
それはね、もう、ものすごくシンプルで、 ”全部全力” もうこれだけ。
トレーニングももちろんだけど、リハビリも含めてどんな時も。
否が応でも”見られる”立場であったし、本来は自分自身が結果を出すために自分だけにフォーカスできればいいのだけどそうはいかない。でもそんな中で、とにかく全部に”全力”で取り組んでましたね。
点が取れないシーズンの翌シーズンもキャプテンを任せられたりしたし、ケガで何か月もチームに関われない時期もあった。リハビリ組は午前中に実施することも多いけど、そこももちろん全力で行っていたかなって感じですね。
崇文:
それって、言葉にはできるけど、簡単なことじゃないですよね。
剛さん:
本当にそう!
出れていなくても、言うべきことは言わないといけないし、存在を示さないといけない場面もあった。試合になかなか関われない中でもそれをやり続ける、大変さ、ある意味辛さっていうのものね、強く感じながらはやっていましたね。
GO第一話後記:
インタビューをさせてもらいながら、太陽のような明るさを感じるとともに、真っすぐかつ誠実に向き合ってくれるその姿勢に引き付けられるものがあった。
現役時代も含め、目の前のことに全力で取り組み、周囲をどんどん巻き込んでいく。人としての魅力を身に纏っている、そんな人だと感じた。現役時代の大いなる葛藤を経て、引退後はどんなことを思い、取り組んでいるのか、第二話からは、引退後の西田剛さんに迫っていく。