INTERVIEW
【第一話】引退前に感じた「自分は何もできない」
PROFILE
蒲原 達也 | 株式会社イーグル建創 取締役営業部長【元町田ゼルビア】 TATSUYA_KAMOHARA
蒲原達也(かもはら・たつや)1983年7月8日、佐賀県出身 ドリブルが得意なMFとして、国見高校、国士舘大学を経て2006年サガン鳥栖入団し、2007年7月からは当時JFLのFC琉球へ。その後2008年には当時関東リーグ1部に所属していた町田ゼルビアに加入し、JFL昇格に貢献する。その後2010年まで町田でプレーした後、引退。その後は当時町田ゼルビアのメインスポンサーだった「株式会社イーグル建創」で営業として働く。入社13年目の現在の役職は「取締役営業部長」。
PROFILE
蒲原 達也 | 株式会社イーグル建創 取締役営業部長【元町田ゼルビア】 TATSUYA_KAMOHARA
蒲原達也(かもはら・たつや)1983年7月8日、佐賀県出身 ドリブルが得意なMFとして、国見高校、国士舘大学を経て2006年サガン鳥栖入団し、2007年7月からは当時JFLのFC琉球へ。その後2008年には当時関東リーグ1部に所属していた町田ゼルビアに加入し、JFL昇格に貢献する。その後2010年まで町田でプレーした後、引退。その後は当時町田ゼルビアのメインスポンサーだった「株式会社イーグル建創」で営業として働く。入社13年目の現在の役職は「取締役営業部長」。
ー2010年に引退した経緯を教えてください
2010年に町田ゼルビアと契約を終了し、国内のクラブからお話しはあったのですが、昔のチームメイトから「海外を経験したほうがいい」というアドバイスをもらってシンガポールのクラブを受けに行きました。3週間ほどのトライアルでテストには合格したのですが、条件面で折り合いが付かず結局帰国することにしました。
日本に帰ってくると、すでに国内クラブはどこも強化を終えていましたし、シンガポールで「やり切った」と思ったこともあり、引退することにしました。27歳でした。
——就職先はどうやって決めたのですか?
帰国した後、お世話になった人たちに連絡したところ、いくつか指導者の話もありました。そのうちの一つからは具体的に「1カ月待つ」と言っていただいて、その道も考えました。
その後、町田のスポンサーでもあった「株式会社イーグル建創」の下川浩之代表取締役会長兼CEOに引退の挨拶をしたところ、「1回社会人を経験したほうがいい」というアドバイスをいただき、「1週間待つ」と言われたのです。
そのときに考えたのはシンガポールでの経験でした。シンガポールで気付いたのは「自分は何もできない」ということです。言葉も話せない。必要なものを買うにしてもジェスチャーでしか伝えられない。食事も頼んだものと別のものが出される。そういう経験をしていたので、これは社会人になったほうがいいと思い、就職することにしました。
——入社するときはどんな仕事をするか分かっていたのですか?
いいえ、「建築関係」とは言われていたのですが、どんな職種かは分かっていませんでした。会長から「現場に行くか、営業をするか、どっちがいいか」と聞かれ、「営業でお願いします」と答えたので、営業になりました。
——「営業」という職種は厳しいと避けられたりもしますが
それが「仕事」というものが分かっていなかったので、単純に「これが自分の仕事で、これでがんばって成績を出していけばいいんだ」としか思っていなかったですね。
担当エリアが決められていて、そこにある家を次々に「家のお手入れをしませんか」と回りました。先輩たちから「1日200軒回って、300枚チラシを配ったら結果が出るよ」と教えられて、「それをやればいいんだ」と単純に思ってとにかくやりました。
家のドアホンを「ピンポン」と鳴らして「イーグル建創の蒲原と言います」と頭を下げて。その頭を下げるところから覚えましたね。「ありがとうございます」とか「失礼します」とか。
——結果は出ましたか
言われたとおり「訪問200軒、チラシ300枚」をやり続けたら確かに結果が出ました。ただ、今でも自信があるのですが、当時は誰よりも「ピンポン」と押していましたね。入社して3カ月は1日も休みませんでした。月に6000軒は訪問したと思います。今は「働き方改革」で休みはちゃんと取るようになっていますが。
うちの会社のいいところは、最初にお客様に会うことができたら必ず上司が入ってバトンタッチしてクロージングまで持っていってくれるところです。その間に上司のノウハウを勉強することができました。
最初の受注は営業を始めて1週間でした。外壁が傷んでいる家のひび割れ補修を注文していただきました。うれしかったですけど、まだ目標の数字までは達していないと思ってすぐ次の訪問をしましたね。
自分のスケジュール管理がうまくできるようになってからは、仕事がスムーズに流れ始めたと思います。次にすることを考えて少し早めに行くとか、そういうことができるようになったのは大きかったですね。その段階までなったのは入社半年後だったと思います。